虎渓山永保寺は、岐阜県多治見市にある臨済宗南禅寺派の寺院です。中国廬山の渓谷に似ていることから「虎渓山」(こけいざん)という山号がつけられました。
国の名勝に指定されている庭園は、夢窓国師の作庭と伝えられ、舟遊式、回遊式、鶴亀の蓬莱など、多彩な形式の庭園が楽しめます。自然の地形を巧みに生かし、滝の音を仏の声に例えた大岩盤「梵音巌」から流れ落ちる滝は、清々しく爽やかな印象を与えます。
境内には、国宝に指定されている観音堂や開山堂など、歴史的に貴重な建造物も数多く残されています。本堂の前には、市の天然記念物に指定されている樹齢700年の大イチョウと、志野・織部釉を施した陶製の灯籠があります。
岐阜県多治見市にある虎渓山永保寺は、正和2年(1313年)に創建された臨済宗南禅寺派の古刹です。夢窓国師(夢窓疎石)を開山、仏徳禅師を開山とした永保寺は、長瀬山と呼ばれた虎渓山の風景を「人里離れた幽境」と気に入り、庵を結んだことから始まりました。
観音堂は、水月場または観音閣とも呼ばれ、永保寺の中心となる本堂としての役割を果たしている重要な仏殿です。
夢窓国師の生涯を記した「夢窓国師年譜」によると、永保寺創建1年後の正和3年(1314年)に建立されたとされています。しかし、建築様式には新しい要素も見られ、14世紀末か15世紀初めに再建された可能性もあります。
建物は、禅宗様(唐様)と平安時代から続く和様建築の手法を折衷させた独特な様式で、桁行3間、梁間3間、一重裳層付、入母屋造り、檜皮葺きの屋根は軒先が大きく反り上がり曲線を描きます。内部中央には須弥壇が置かれ、その上に流木で組まれた岩窟式厨子が設けられ、聖観世音菩薩坐像が安置されています。
明治34年(1901年)に開山堂とともに重要文化財に指定され、昭和27年(1952年)に国宝に再指定されています。
建治元年(1275年)に伊勢国(三重県)で誕生した夢窓国師(~1351年)は、臨済宗の高僧として多くの弟子を育成し、臨済宗の隆盛に大きく貢献しました。また、正中2年(1325年)には後醍醐天皇の勅を受け、京都・南禅寺住持となり、足利尊氏によって造営された天龍寺の開山となるなど、時の権力者からも厚く遇されました。
夢窓国師は、鎌倉へ向かう途中、永保寺に立ち寄ったと記録されています。平成16年の永保寺庫裡跡発掘調査では、「正中二年十二月」という線刻が入った山茶碗の鉢が出土しました。
夢窓国師は、禅宗寺院の造営を多く手がけた作庭家としても知られ、禅の修行の場として、庭園と禅の思想とを深く結びつけたことで、日本の庭園史上大きな役割を果たしました。国師の手がけた庭園は、永保寺のほか、京都の西芳寺(苔寺)、天龍寺、鎌倉の瑞泉寺、山梨県の恵林寺などが残されています。
永保寺の庭園は、夢窓国師が創建から4年間滞在中に造られたもので、自然の地形を巧みに利用し、観音堂と一体となった景観が生み出されています。観音堂正面には臥龍池(心字池)が構えられ、池には無際橋が架けられています。後方の岩は梵音巌と名付けられ、そこを落ちる滝の水は、北西にある水源から水路によって引き込まれています。
南北朝時代の文和元年(1352年)に創建された、夢窓国師と開山仏徳禅師の頂相を安置する霊廟です。代表的な唐様建築で、入母屋造檜皮葺きの建物で、禅宗様建築の代表例として、国宝に指定されています。
祠堂、礼堂、合の間の三棟が併わされた独特な形式の建物です。祠堂は方一間裳階付き、礼堂は方三間入母屋造、合の間は両側を壁で閉じた廊下状になっています。
礼堂は、三手先の組物を詰組とし、垂木を扇垂木とし、堂内は石敷きの土間に化粧屋根裏とするなど、本格的な禅宗様の意匠が施されています。
祠堂奥には、開山の元翁本元の墓塔である石造宝篋印塔が安置されています。
5:00~17:00
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