五稜郭
1854年にペリー来航で江戸幕府はアメリカと日米和親条約を締結。アメリカに対し下田と箱館(現在の函館)の2港を開港し、200年あまり続いた鎖国は終わり日本は開国した。
箱館に入港する外国の大砲が充実した軍艦に対応するため、当時のヨーロッパの築城術を参考に五稜郭を完成させた。
水堀で囲まれた星形と1ヶ所の半月堡からなり、その内側に奉行所などの建物が建築された。
箱館戦争の舞台
江戸幕府の崩壊後、箱館府に引き継がれたが、戊辰戦争(新政府軍と旧幕府軍が戦った日本最大の内戦)で最後の戦いとなる箱館戦争の舞台となり、旧幕府軍が五稜郭を占領した。
新政府軍の軍艦が箱館港内から五稜郭に向けて艦砲射撃を行い、箱館奉行所に命中。
旧幕府軍が降伏し、五稜郭は新政府軍に引き渡され、箱館奉行所は1871年解体された。