津軽平野に位置する海抜50メートルの平山城。
江戸時代には弘前藩の津軽氏が4万7千石の居城として藩庁を置き、津軽地方の政治経済の中心地となった。
堀、石垣、土塁等城郭の全容が1871年の廃城時の原形をとどめている貴重な城で、現存12天守の1つに数えられる。
日本100名城、美しい日本の歴史的風土100選、人と自然が織りなす日本の風景百選、平成百景に選定されている。
元は鷹岡城として1611年に5層6階の天守が建てられたが、1627年に落雷により天守が炎上して焼失。
以後、200年近く天守がなく、弘前城に改称され、1810年に現存する天守代わりとしての3層3階の三層櫓が建てられた。
高さは約14.4メートルあり、現存する三重天守の中で最も低い。
外壁は白漆喰塗籠で、窓と狭間の上下に長押形を施し、また屋根瓦には寒冷地のため銅瓦を葺いている。
内部は櫓と同等の木材が用いられ、床も全て敷居を設けず畳を敷くことが想定されていない簡素な造りで、倉庫として利用されることを見込んだ構造となっている。
天守閣(三層櫓)、二の丸の東門・南門・辰巳槽・未申櫓・丑寅櫓、三の丸の追手門・東門、北の郭の北門(亀甲門)の現存建築はいずれも、国の重要文化財に指定されている。
また城跡は国の史跡に指定されている。
弘前城の廃城後、1895年に城跡を公園として開放。園内に1903年から桜が植えられていて、現在は約2,600本の桜が植わり、弘前公園は花の名所として有名。
東北地方北部に位置するため桜の開花時期が比較的遅く、花見に適した時期がおおむねゴールデンウィークと重なることもあり、弘前さくらまつりには日本全国から観光客が訪れる。
弘前公園は日本の都市公園100選、日本の歴史公園100選、日本さくら名所100選に選定されている。