金刀比羅宮は、香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する神社です。明治初年の神仏分離以前は金毘羅大権現と称され、通称「讃岐の金毘羅さん」として親しまれています。現在では全国に約600ある金刀比羅神社、琴平神社、あるいは金比羅神社の総本宮となっています。
金刀比羅宮はその起源を真言宗象頭山松尾寺の堂宇の一つとして持ち、神仏習合の金毘羅大権現を祀っていました。象頭山の名は、その山容が象の頭に見えることから名付けられました。明治初年の神仏分離により、大物主命を主祭神とする神社となり、宗教法人金刀比羅本教の総本部となりました。
参道の石段は本宮まで785段、奥社までの合計は1368段に及びます。広い境内には由緒ある御社や御堂が点在し、宝物館や書院には第一級の美術品や文化財が展示されています。また、参道の両脇には土産物店や讃岐名物のうどん店が並び、訪れる人々を楽しませています。
金刀比羅宮は古くから「讃岐の金毘羅さん」として親しまれ、多くの人々に信仰されてきました。19世紀中頃以降は特に海上交通の守り神として信仰され、漁師や船員など海事関係者の崇敬を集めています。境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られ、金毘羅講に代表されるように広く参拝者を集めてきました。
長く続く参道の石段は奥社まで1368段あり、例大祭に合わせて毎年「こんぴら石段マラソン」が開催され、多くの参加者で賑わいます。
金刀比羅宮の祭神は大物主命と崇徳上皇を祀り、海の守護神として多くの信仰を集めています。その由緒についてはいくつかの説がありますが、大物主命が象頭山に行宮を営んだ跡を祭った琴平神社から始まり、中世以降に本地垂迹説により仏教の金毘羅と習合して金毘羅大権現と称されたとされています。
保元元年(1156年)に讃岐国に配流された崇徳上皇は、崩御の前年の長寛元年(1163年)に当山境内の古籠所に参籠し、その附近の御所之尾を行宮としました。崩御の翌年に本社相殿に奉斎されたと伝えられています。
金刀比羅宮は、戦国時代や江戸時代を通じて何度も再建や改修が行われてきました。江戸時代には高松藩主の生駒氏や松平頼重による崇敬を受け、多くの建物が新築されました。また、庶民の間で金毘羅講が組織され、参拝が盛んに行われるようになりました。
江戸時代中期以降、全国の庶民の間で信仰が広がり、金毘羅参りが盛んに行われるようになりました。奉納も多く行われ、そのために参道を曲げて石碑を収めることが必要となるほどでした。
明治初年の神仏分離により、金刀比羅宮は「琴平山金刀比羅宮」と改称され、神道の神社として新たにスタートしました。近代社格制度のもと、明治4年(1871年)に国幣小社に列格し、明治18年(1885年)に国幣中社に昇格しました。昭和44年(1969年)には宗教法人金刀比羅本教の設立認可を受け、総本宮となりました。
令和元年(2019年)の天皇即位に伴う大嘗祭当日祭において、金刀比羅宮は神社本庁からの離脱を決定し、2020年11月に単立神社として新たな歩みを始めました。
象頭山の中腹に鎮座する金刀比羅宮の参道の石段は、本宮まで785段(標高251m)、奥社まで登ると1368段(標高421m)になります。広大な境内には多くの見どころがあり、訪れる人々を魅了しています。
本宮の本殿は1878年に再建され、桧皮葺・大社関棟造りの美しい建物です。祭神は大物主神と崇徳天皇を祀っています。また、参道には土産物店や讃岐名物のうどん店が並び、訪れる人々を楽しませています。
このように、金刀比羅宮はその歴史的背景や信仰の厚さから多くの人々に愛され続けている神社です。参拝や観光を通じて、その魅力を感じてみてください。
琴平駅から徒歩で50分