琉球王府公認の御嶽
琉球王国建国(1429年)以前から信仰を集めている御嶽であり、宮古島の創生神話をはじめとする多くの宮古島固有の神話と伝説の舞台となっています。
誰でも参拝できる珍しい御嶽
御嶽(うたき)はかつての琉球地方各地にある礼拝所で、本土でいう村の神社のように各地域や村に御嶽があり、守護神として各種の祭祀がおこなわれていました。
多くの御嶽は、現在も地域の人々によって維持されていて、立入禁止となっていますが、漲水御嶽は観光客でも参ることができ、地元の人も観光客も多く訪れています。
奉納された石垣
周りをめぐる石垣は、1500年のオヤケ赤蜂の乱の戦勝記念として、宮古第一の首領であった仲宗根豊見親が奉納したと伝えられています。
漲水石畳道と宮古神社
すぐ側には石畳の坂道である宮古島市指定の史跡「漲水石畳道」があり、宮古神社へと続いています。
専用駐車場がないので車だとアクセスしにくい所ですが、平良港や市役所が近くにあり、コインパーキングもあります。
創世神話
宮古島が創造された後、天より、古意角(恋角)という神と姑依玉(恋玉)という女神が、多くの神々を従え漲水に降り立った。
彼らは、人間と天地の万物一切を創り上げた後、天に戻った。そして、この地に御嶽を立てて島の人々は、大いに賑わい栄えた。
人蛇婚伝説
平良に住む貴族夫婦は子どもができなかった。そこで、神様に祈りを捧げたら、美しい娘が授かったんだ。
若いのに妊娠していることを両親に問われた娘は、毎晩自分の寝室を訪れる若い男がいると言った。
父親が男の正体を調べると、それは漲水のイベ(御嶽の中心部)の洞窟に住む大蛇だったんだ。
その晩、娘の夢に大蛇が現れた。大蛇は古意角、島立の神と名乗り、島の守り神を作るために娘に会いに来たと言った。
娘は三人の娘を産むので、三歳になったら御嶽に連れて行くように告げられた。
娘は大蛇の言う通り三人の娘を産んだ。子供たちが三歳になると、御嶽に連れて行った。しかし、母親は大蛇が怖くて逃げ帰った。
子供たちは大蛇を恐れることなく、それぞれ首、胴、尾に抱きついた。大蛇は喜んで涙を流し、子供たちを島の守り神に変えて御嶽の中へと消えた。最後に、大蛇(古意角)は輝きを放ちながら天に昇っていったんだ。