香椎宮は、福岡県福岡市東区香椎にある神社で、勅祭社に指定されています。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社となっています。
香椎宮は、古代の文献においてさまざまな名称で記録されています。「香椎廟」や「樫日廟」などの呼称があり、いずれも「かしい」という読み方を持ちます。この地名「香椎」の由来については、仲哀天皇の棺を椎の木に掛けたときに異香が漂ったことに由来するという説や、「かしい」が首都や大村を意味するという説も存在します。
香椎宮は福岡市北部の立花山南西麓に鎮座しており、元々は霊廟として仲哀天皇と神功皇后の神霊を祀っていました。そのため「香椎廟」や「樫日廟」と呼ばれていました。
平安時代中頃から神社としての性格を持つようになり、特殊な変遷を経てきました。戦前の近代社格制度においては最高位の官幣大社に位置づけられ、現在も勅祭社として10年に一度天皇からの勅使の参向を受けています。
明治維新後、香椎宮は国幣中社に列し、1885年には官幣大社に昇格しました。1924年には10年に一度の勅使参向が定められました。戦後は神社本庁の別表神社となり、現在も多くの参拝者に親しまれています。
本殿は享和元年(1801年)に福岡藩主黒田長順(黒田斉清)によって再建され、「香椎造」と呼ばれる独特な構造を持つ建物です。この建物は国の重要文化財に指定されており、10年に一度の勅祭が斎行されるほか、仲哀天皇と神功皇后の命日にも神事が行われています。
幣殿は、一般的な神社の拝殿に相当する建物で、勅使が幣帛を捧げる場所とされています。ここでは様々な神事が行われ、香椎宮の重要な場所の一つです。
楼門は明治36年(1903年)に再建された建物で、境内の入り口に位置しています。壮大な造りと美しい装飾が特徴で、訪れる人々を迎え入れる象徴的な建物です。
綾杉は、神功皇后が三韓征伐から帰国した際に鎧の袖に挿していた杉枝を植えたとされる神木です。この木は長寿と繁栄の象徴とされ、多くの参拝者が訪れます。
不老水は、仲哀天皇・神功皇后に仕えた武内宿禰がこの泉の水を汲んで食事・酒を調え、300歳以上の長寿を保ったと伝えられる霊泉です。毎年正月にはこの水が皇室に献上されます。
頓宮は神幸式の際の神輿の仮宮で、本宮西方の丘に位置しています。ここでは祭りの際に神輿が休憩し、神事が行われます。
香椎宮には他にも多くの見どころがあります。例えば、本殿から北東方に位置する古宮は仲哀天皇の廟跡と伝えられ、ここには仲哀天皇の棺を掛けたという神木「香椎」があります。また、境内には美しい庭園や古代の遺跡もあり、訪れる人々を魅了します。
香椎宮の主祭神は次の4柱です。
香椎宮の祭神に関しては、さまざまな文献において異なる説が見られます。例えば、『兵範記』や『宇佐託宣集』では神功皇后を主祭神とする説がある一方、『筑前国続風土記』では神功皇后、応神天皇、住吉大神を祀るとしています。最終的には、大正4年(1915年)に仲哀天皇が摂社から本殿に合祀されたことで、現在の4柱が祭神として定められました。
香椎宮では、年間を通じて多くの行事や祭りが行われます。特に注目すべきは、10年に一度の勅祭で、これは天皇からの勅使が参向する重要な儀式です。また、仲哀天皇と神功皇后の命日にも特別な神事が行われ、多くの参拝者が訪れます。
香椎宮には、国の重要文化財である本殿や、福岡県指定文化財である獅子楽など、数多くの文化財が保存されています。これらの文化財は、香椎宮の歴史と伝統を物語る貴重な遺産として大切にされています。
香椎宮へのアクセスは、JR九州香椎線の香椎神宮駅から徒歩3分、西鉄貝塚線の香椎宮前駅から徒歩約10分と非常に便利です。また、駐車場も完備されており、車での参拝も可能です。
香椎宮は、歴史と文化が豊かに交差する場所であり、多くの参拝者に愛されています。その独特な建築様式や美しい境内、そして多彩な祭りや行事は、訪れる人々に深い感動と敬意を与えています。
香椎宮前駅から徒歩で5分 → 西鉄バス「香椎宮前」下車