夢窓国師による開山で、武田信玄の菩提寺。明王殿には武田不動尊と称される不動明王坐像および二童子像が安置されている。
鎌倉時代の1330年に夢窓疎石を招き開山した名刹。1467年から1477年までの約11年におよぶ内乱「応仁の乱」で荒廃するが、甲斐武田氏の菩提寺に定められて復興した。
武田信玄は1572年に足利義昭による織田信長の討伐令の呼びかけに応じる形で甲府を出陣。
三河で徳川家康と決戦し勝利するも、1573年に進撃の途中で病死して、軍は甲斐に撤退した。
1582年、織田・徳川連合軍の武田領侵攻(甲州征伐)により武田氏は滅亡する。
武田氏滅亡後、織田氏は恵林寺に逃げ込んだ武将の佐々木次郎(六角義定)の引渡しを要請するが、寺側が拒否したため恵林寺は焼き討ちにあった。
この際に禅僧の快川紹喜が発した言葉が辞世の偈として知られている。
「安禅不必須山水滅却心頭火自涼」
安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ずから涼し
(落ち着いて座禅を組むのに、山や川といった静かな自然は必要ない。心や頭を空っぽにすれば、火だって涼しく感じられるものだ)
本能寺の変により織田信長が討たれ、甲斐を領することとなった徳川家康が恵林寺を再建した。
併設されている宝物館では、武田信玄の兜や風林火山で有名な孫子の軍旗、美術工芸品、古美術絵画、武具甲冑、古文書の数々が展示されている。
恵林寺(えりんじ)は、山梨県甲州市に位置する臨済宗妙心寺派の寺院です。正式名称は乾徳山恵林寺であり、武田信玄公ゆかりの寺として知られています。恵林寺は1330年、夢窓疎石によって開山され、武田信玄の菩提寺として有名です。
恵林寺は、南北朝時代に創建され、以来、戦国時代には武田信玄の庇護を受けました。戦国時代において、恵林寺は軍事的な要所としても重要な役割を果たし、寺の周囲には当時の防御施設の名残が見られます。
武田信玄は、恵林寺を自身の菩提寺とし、多大な寄進を行いました。信玄の死後、その遺体は恵林寺に埋葬され、寺内には信玄の供養塔が立っています。また、信玄の弟子たちが信玄公の精神を受け継ぎ、恵林寺はその後も武田家の重要な宗教施設として栄えました。
恵林寺の境内には、多くの重要文化財や建築物が存在します。特に、室町時代に建てられた三門は、日本の国宝に指定されています。この三門は、「不動門」とも呼ばれ、武田信玄の霊を守る門としての役割も果たしています。
恵林寺は、1582年の武田氏滅亡後、織田信長の命により焼き討ちに遭いました。しかし、その後再建され、現在の姿に至ります。再建後も多くの信仰を集め、地域の人々に愛され続けています。
恵林寺は、その美しい庭園とともに、多くの観光客を魅了しています。特に秋の紅葉の季節には、多くの訪問者が寺を訪れ、その景観を楽しみます。また、恵林寺内には、武田信玄にまつわる資料や展示物があり、歴史ファンにとっても見逃せないスポットです。
恵林寺では、一年を通じてさまざまな行事が行われます。特に重要なのは、信玄公の命日に行われる法要で、多くの参拝者が訪れます。また、寺では座禅会や写経会などの宗教行事も定期的に開催されており、訪れる人々に心の安らぎを提供しています。
恵林寺は、JR中央本線の塩山駅からバスで約10分の場所に位置しています。また、周辺には甲州市の他の観光スポットも点在しており、観光ルートとしても人気です。訪れる際は、ぜひ時間をかけて恵林寺の歴史と美しさを堪能してください。
8:30~16:30
無休
拝観料
大人 300円
小・中・高校生 100円
宝物館
大人 500円
小中学生 100円
塩山駅からバスで15分 → 塩山駅から車で10分