ニコライ堂は、東京都千代田区神田駿河台に位置する正教会の大聖堂です。正式には「東京復活大聖堂」と呼ばれ、イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の復活を記憶するために建てられた教会です。
日本に正教会の教えをもたらしたロシア人修道司祭(のち大主教)である聖ニコライにちなんで「ニコライ堂」と呼ばれるようになりました。
ニコライ堂は、日本正教会の首座主教座大聖堂として、日本最大の正教会の聖堂です。関東大震災で大きな被害を受けましたが、1929年に修復され、現在の姿がその時のものとなっています。ビザンティン様式の建築として、日本で最初に建てられた本格的な教会であり、その建築面積は約800平方メートル、高さ35メートルの緑青を纏ったドーム屋根が特徴的です。1962年には国の重要文化財に指定されています。
ニコライ堂の正式名称は「東京復活大聖堂」です。時折「ハリストス復活大聖堂」といった表記が見られますが、正式なものではありません。また、この大聖堂を拠点とする教会は「東京復活大聖堂教会」と呼ばれます。ニコライ堂という通称は、1970年に列聖された聖ニコライ・カサートキンに由来していますが、この大聖堂自体はイイスス・ハリストスの復活を記念するものです。
ニコライ堂は、日本正教会の中心であり、全日本の府主教座・東京大主教座聖堂です。日本正教会は自治正教会であり、他の国々の正教会(ギリシャ正教会、ロシア正教会など)とは異なる独自の組織を持ちながらも、共通の信仰を持っています。そのため、「正教会の大聖堂」と呼称するのは正しいですが、「ロシア正教会の聖堂」と述べるのは誤りです。
ニコライ堂は、その正式名称が示す通り、イイスス・ハリストスの復活を記念しています。正教会の聖堂は、聖書に記された出来事やイイスス・ハリストス、生神女(聖母マリア)、聖人など、何らかの記念を伴うものが多いです。この大聖堂もその例外ではなく、イイスス・ハリストスの復活を記念するために建てられました。
「ニコライ堂」という名称は、聖ニコライ・カサートキンに由来していますが、この大聖堂自体が聖ニコライを記念したものではありません。ただし、敷地内には「亜使徒聖ニコライ聖堂」や「亜使徒聖ニコライ記念聖堂」が設けられています。
ニコライ堂の創建は、聖ニコライの依頼を受けたロシア工科大学教授で建築家のミハイル・シチュールポフによる原設計に始まります。ジョサイア・コンドルが実施設計を担当し、施工は清水組(現・清水建設)が行いました。1884年に起工し、1891年に竣工、同年3月8日に成聖式が行われました。建築には多くのロシア正教徒からの献金が寄せられたと言われています。
1923年の関東大震災により、ニコライ堂は大きな被害を受けました。鐘楼が倒壊し、ドームも破壊され、内部も大部分が焼失しました。しかし、日本正教会は大聖堂の復興を決定し、セルギイ大主教の指導のもと、全国からの献金を募って修復を行いました。1927年から1929年にかけて、岡田信一郎の設計により構造補強と修復が行われ、現在の姿に生まれ変わりました。
ニコライ堂は、日本における正教会の象徴的存在であり、その歴史的価値から国の重要文化財に指定されています。また、夏目漱石の『それから』や、与謝野晶子、木下杢太郎など、多くの文学作品にも登場し、日本文化に深く根ざしています。
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