祭神
鶴岡八幡宮には、以下の3柱の神々が祀られています。これらは総称して「八幡神」と呼ばれ、特に武士からの信仰を集めました。
- 応神天皇(おうじんてんのう) - 第15代天皇
- 比売神(ひめがみ) - 八幡神に従う女神
- 神功皇后(じんぐうこうごう) - 応神天皇の母で、第14代仲哀天皇の妃
歴史
創建と発展
鶴岡八幡宮の起源は、1063年に遡ります。河内源氏の源頼義が、戦勝祈願のために京都の石清水八幡宮を鎌倉の由比ヶ浜に勧請し、これが「鶴岡若宮」として創建されました。後に頼義の子である源義家が修復を加えます。
1180年、平家討伐のため挙兵した源頼朝は、鎌倉に入ると、神社を現在の地(小林郷北山)へ遷座。以後、鶴岡八幡宮は鎌倉幕府の中心的な存在となり、武家の信仰を集める神社へと発展しました。
鎌倉幕府と鶴岡八幡宮
頼朝の死後も、鶴岡八幡宮は幕府の重要な儀式が執り行われる場所となりました。特に1219年、三代将軍源実朝が甥の公暁によって暗殺された事件は有名です。
戦国時代から江戸時代
戦国時代には、鶴岡八幡宮は幾度か戦火に見舞われました。1526年には里見氏と北条氏の争いの中で社殿が焼失しますが、後に北条氏綱によって再建されます。
江戸時代に入ると、徳川家の庇護を受けて神社は拡充。徳川家光の時代には薬師堂、鐘楼、楼門などが建立され、境内は大規模なものとなりました。
明治維新と近代
明治時代の神仏分離令により、鶴岡八幡宮も仏教関連の施設を排除し、多くの仏像や経典が破壊・散逸しました。名称も「鶴岡八幡宮寺」から「鶴岡八幡宮」へ改められました。
戦後は、神社本庁の別表神社に列し、近年では全国一の宮会にも加盟。現在も多くの参拝者が訪れる名所となっています。
創建の歴史と鎌倉幕府との関わり
源氏の守護神としての始まり
鶴岡八幡宮の起源は、平安時代の1063年に遡ります。源氏の武将である源頼義が、京都の石清水八幡宮から分霊を勧請し、鎌倉の由比ヶ浜近くに祀ったことが始まりとされています。
源頼朝による遷座と鎌倉幕府の中心
1180年、源頼朝は鎌倉に本拠を構えた際に、現在の地に八幡宮を移しました。以降、鎌倉幕府の宗社(そうしゃ)として重要視され、武士の精神的支柱となりました。
江戸時代の再興
鎌倉幕府の滅亡後、一時衰退したものの、江戸時代に徳川家光の庇護を受け、大規模な再建が進みました。本殿をはじめ、仁王門、神楽殿、鐘楼など多くの建造物が整備され、現在の姿の礎が築かれました。
境内の見どころ
本宮(上宮)
本宮(上宮)は、文政11年(1828年)に徳川家斉によって再建された「流権現造」の建築様式を持つ社殿で、国の重要文化財に指定されています。本宮へと続く大石段は61段あり、登り切ると朱塗りの桜門が見えてきます。その奥には拝殿と本宮があり、神聖な雰囲気を醸し出しています。
舞殿(下拝殿)
大石段の手前にある舞殿は、「下拝殿」とも呼ばれます。現在の建築物は21世紀に入ってから増築されたもので、もともとは朱塗りではなく白木造りでした。この舞殿は、歴史的なエピソードとも深い関わりがあります。
源平池と太鼓橋
境内入口には、源頼朝の命により掘られた「源平池」があります。池は左右に分かれており、源氏池には島が3つ、平家池には島が4つ浮かんでいます。これらは、それぞれ「産(三)」と「死(四)」を象徴するといわれています。
源氏池には「旗上弁天社」が鎮座しており、夏には一面を覆う蓮の花が見事な景観を生み出します。池の間を結ぶ「太鼓橋」は、創建当初は木造で朱塗りだったため「赤橋」とも呼ばれました。現在の石橋は1927年(昭和2年)に再建された二代目で、かつては自由に通行できましたが、現在は柵で閉鎖されています。
ぼたん庭園と鎌倉文華館鶴岡ミュージアム
源氏池のほとりには「ぼたん庭園」が設けられており、季節ごとに色とりどりの牡丹の花が楽しめます。また、かつて平家池のほとりにあった「神奈川県立近代美術館」は、2016年に鶴岡八幡宮に無償譲渡され、2019年6月に「鎌倉文華館鶴岡ミュージアム」として再オープンしました。この建物は神奈川県の重要文化財および国の重要文化財に指定されています。
鎌倉国宝館
境内東側には、1928年(昭和3年)に開館した「鎌倉国宝館」があり、市内の社寺などから寄託された国宝や重要文化財を多数収蔵しています。本館の建物自体も登録有形文化財に指定されており、歴史と文化を学ぶことができる施設です。
伝説と歴史的な出来事
寺院の遺構
1982年(昭和57年)の発掘調査により、境内から寺院の遺構と考えられる建物の跡や、土葬された遺骨が発見されました。研究によると、この遺構はかつて存在した「鎌倉生源寺」のものである可能性が指摘されています。
大銀杏の倒伏
鶴岡八幡宮のシンボルでもあった大銀杏は、建保7年(1219年)に源実朝が暗殺された際、公暁が身を隠したと伝えられる木として知られていました。しかし、2010年(平成22年)3月10日、強風の影響で根元から倒れてしまいました。
倒れた後、大銀杏は3つに切断され、根元の一部は元の場所から約7メートル離れた地点に移植されました。また、元の地点に残された根からは新たな芽が芽吹き、現在も再生への努力が続けられています。
鶴岡八幡宮の摂末社
旗上弁天社
源氏池の島に鎮座する弁天社で、周囲には源氏の二引きの白旗が掲げられています。明治時代の神仏分離により一度は廃されましたが、1980年(昭和55年)に文政年間の古図をもとに復元されました。
白旗神社
白旗神社は、源頼朝と源実朝を祭神とする神社です。豊臣秀吉が小田原征伐の後に参拝した際、頼朝の像を見て「天下を取った者同士」と語った逸話が残っています。
丸山稲荷社
鶴岡八幡宮で最も古い建造物であり、室町時代に建てられたものです。本殿は重要文化財に指定されており、商売繁盛を祈願する参拝者から奉納された赤い旗に囲まれています。
若宮(下宮)
祭神として仁徳天皇など3柱を祀る神社で、鶴岡八幡宮の発祥の地とされています。こちらの社殿も重要文化財に指定されています。
祖霊社
1949年(昭和24年)に創建され、氏子崇敬者の祖霊や護国の霊を祀っています。戦後の復興とともに設けられた神社として、特別な意味を持っています。
今宮
後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇を祀る神社で、承久の乱によって流された天皇たちへの崇敬の念が込められています。
由比若宮(元八幡)
鎌倉市材木座にある由比若宮は、鶴岡八幡宮の前身となる神社で、地元では「元八幡」として親しまれています。
参道と段葛
鶴岡八幡宮の参道は「若宮大路」と呼ばれ、由比ヶ浜から八幡宮まで南北に貫いています。これは京都の朱雀大路を模して、源頼朝が自らの手で築いたものとされています。
二の鳥居から続く「段葛(だんかずら)」は、車道より一段高い歩道となっており、春には桜並木が美しい景観を作り出します。この参道を歩くことで、鎌倉の歴史を感じながら鶴岡八幡宮へと向かうことができます。
四季折々の自然美
春の桜、夏の蓮、秋の紅葉
境内は四季折々の花木に彩られ、特に春の桜や夏の蓮の花、秋の紅葉は見応えがあります。自然と歴史が調和する美しい景観が広がっています。
祭事と年間行事
流鏑馬神事(やぶさめしんじ)
毎年9月に行われる「流鏑馬神事」は、鎌倉時代の武士文化を現代に伝える重要な祭事です。馬上から矢を射る勇壮な姿は、多くの観光客を魅了します。
初詣と節分祭
新年には多くの参拝者が訪れ、初詣の名所として知られています。また、節分には豆まきが行われ、厄除けを願う人々で賑わいます。
文化財
鶴岡八幡宮には、国宝や重要文化財に指定されている貴重な品々が数多く残されています。
国宝
工芸品
- 沃懸地杏葉螺鈿太刀(いかけじ ぎょうようらでん たち)
- 籬菊螺鈿蒔絵硯箱(まがきにきくらでんまきえ すずりばこ)
- その他、袿(うちき)や武具類などの古神宝類
重要文化財
建造物
- 大鳥居(一の鳥居) - 徳川家慶による建立
- 摂社若宮 本殿・幣殿及び拝殿
- 上宮 - 本殿、幣殿及び拝殿、回廊など
アクセス情報
電車でのアクセス
鶴岡八幡宮は、JR鎌倉駅から徒歩約10分の場所にあり、アクセスが非常に便利です。
車でのアクセス
駐車場はありますが、観光シーズンには混雑するため、公共交通機関の利用をおすすめします。
まとめ
鶴岡八幡宮は、鎌倉の歴史と深く結びついた神社であり、武士の守護神としての役割を果たしてきました。現在も多くの人々に親しまれ、参拝者や観光客を迎えています。鎌倉幕府ゆかりの歴史を感じられるだけでなく、四季折々の自然や貴重な文化財を楽しむことができる神社です。鎌倉観光の際には、ぜひ訪れて歴史と文化を肌で感じてみてください。