円応寺は、神奈川県鎌倉市山ノ内に位置する臨済宗建長寺派の仏教寺院です。開山は桑田道海(智覚禅師)とも伝えられていますが、詳細は不明です。山号は新居山と称し、鎌倉時代作の閻魔像や冥界の十王の像で広く知られており、「新居閻魔堂」や「十王堂」とも呼ばれています。
『新編鎌倉志』などによれば、円応寺は建長2年(1250年)に創建されました。開山は建長寺開山蘭渓道隆の弟子である桑田道海(智覚禅師)とされていますが、年代が一致しないことから、当初から禅寺として建てられたかどうかには疑問が残ります。
円応寺は、最初は由比郷見越岩(鎌倉大仏の東側)に建てられましたが、その後、滑川の川岸へ移転しました。現在の川岸から東側に200~300メートルほど離れた場所に、新居閻魔堂跡を示す石碑が残っています。この場所は創建当時、川岸であったと考えられています。
元禄16年(1703年)の元禄大地震に伴う津波被害により、円応寺の建物は大破しました。その翌年、寺は現在の山ノ内に移転し、再建されました。現在、円応寺は建長寺から鎌倉街道を挟んで向かい側の小高い敷地に位置しています。この場所は、かつて建長寺塔頭の大統庵があった場所です。
本堂には本尊の閻魔像や十王像などが安置されています。
寺の入口を守る立派な山門があり、訪れる人々を迎え入れます。
閻魔堂は、冥界の裁判官である閻魔王を祀る堂です。
円応寺には、多くの重要文化財が所蔵されています。その中でも特に有名なのは、以下の木造像です。
これらの7点は一括して国の重要文化財に指定されています。
この閻魔像は像高190.5cmで、「笑い閻魔」としても知られています。『新編鎌倉志』によると、寛文13年(1673年)に像の補修が行われた際、胎内から文書が発見され、建長2年(1250年)の作であることが確認されました。現存する像は、頭部のみが鎌倉時代の作で、体部は江戸時代に補修されたものです。
また、この像は笑っているようにも見える表情から「笑い閻魔」と呼ばれ、さらに「人食い閻魔」としても知られています。この呼び名には、それぞれ伝承が残されています。
木造初江王坐像は、十王像のひとつであり、写実的な表情や複雑な衣文表現が特徴です。運慶派の影響を受けた宋風彫刻として、非常に貴重な作品です。胎内銘から、この像は仏師幸有によって建長3年(1251年)に作られたことがわかっています。
その他、倶生神坐像(2体)や奪衣婆坐像、檀拏幢(だんだとう)、鬼卒立像も国宝館に寄託され、保存されています。これらの像は、冥府において亡者を裁く閻魔大王とその周囲を取り囲む神々を表現しています。
運慶が死後、地獄に落ちた際、閻魔大王に「生き返らせてやるから自分の像を彫れ」と言われ、現世に蘇生しました。運慶が生き返った喜びで笑いながら彫像したため、この閻魔像も笑っているような表情になったと伝えられています。これが「笑い閻魔」と呼ばれる由来です。
円応寺が滑川沿いにあった時代、この閻魔像は瘧(おこり)を治すご利益があるとして信仰を集めていました。ある日、瘧にかかった子供の親が「この子の願いを聞いてください」と願ったところ、閻魔像が「この子を召し上がってください」と聞き違えて、子供を食べてしまったという伝承が残っています。
円応寺へは、JR東日本の北鎌倉駅から神奈川県道21号横浜鎌倉線沿いに鎌倉駅方向へ徒歩15分ほどでアクセスできます。また、周辺には観光スポットも多く、観光の一環として訪れることができます。