社殿の構成
筑波山神社の主要な社殿は、以下の3箇所に分かれています。
男体山本殿
男体山本殿は西峰の頂上、標高871メートルの場所に位置しています。
女体山本殿
女体山本殿は東峰の頂上、標高877メートルの場所に位置しています。
拝殿
拝殿は山腹、標高270メートルの地点にあり、男体山本殿と女体山本殿を遥拝するための施設です。筑波山は西峰と東峰からなる双耳峰であり、筑波山神社の本殿はその両山頂にそれぞれ鎮座しています。境内は広大で、筑波山の南面に広がる海抜270メートル以上の領域を社地とし、その面積は約354ヘクタールに及びます。
門前町とアクセス
南面中腹の拝殿周辺には、門前町が形成されており、一般的に「筑波山神社」といえばこの拝殿周辺を指します。拝殿の西側には筑波観光鉄道の筑波山ケーブルカー宮脇駅があり、登山口も設けられているため、参拝客や登山客で賑わいを見せています。
筑波山神社の歴史と文化財
筑波山は『常陸国風土記』にも記されているように、古くから神聖な山として信仰を集めており、その神霊を祀る筑波山神社も公家や武家からの崇敬を受けてきました。文化財としては、太刀(銘吉宗)が国の重要文化財に指定されているほか、いくつかの社殿が茨城県やつくば市の指定有形文化財に指定されています。
祭神
筑波山神社の祭神は次の2柱です。
筑波男ノ神(つくばおのかみ、筑波男大神)
男体山の神であり、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)として人格化されています。
筑波女ノ神(つくばめのかみ、筑波女大神)
女体山の神であり、伊弉冊尊(いざなみのみこと)として人格化されています。
これらの神々は、結婚して多くの神々を産み、国産みを行ったことから、縁結び、夫婦和合、家内安全、子授け、子育てといったご利益があるとされています。また、交通安全や工事安全のご利益も広く信じられています。
筑波山神社の祭祀と信仰
筑波山は男体山と女体山の2つの峰から成り、それぞれの峰に神が祀られています。『常陸国風土記』には、男体山は険しい神の峰として登山が禁じられていた一方、女体山は泉が流れ、男女が集まって歌垣が行われたと記されています。祭祀に関する遺物も女体山付近で多く発見されています。
筑波山神社の歴史
創建
筑波山神社の創建時期は不詳ですが、古くから崇敬の対象とされ、『常陸国風土記』では富士山と対照されるほどの山容を持っていました。社伝によれば、伊弉諾尊と伊弉冊尊が国産みで産み出した「おのころ島」が筑波山にあたるとされています。
奈良時代から平安時代
奈良時代には『万葉集』に筑波の歌が25首も詠まれ、常陸国を代表する山とされていました。また、法相宗僧の徳一が筑波山寺を開いたことで、神仏習合が進み、修験道の道場としても発展しました。国史では、弘仁14年(823年)に従五位下の筑波神が官社に列格されたことが記されています。
鎌倉時代から江戸時代
鎌倉時代には筑波氏が筑波神を奉斎し、中禅寺別当として管理していました。江戸時代に入ると幕府から篤く保護され、多くの堂塔が建立されました。その結果、筑波山は仏教中心の霊地として栄えました。
明治以降
明治維新後、神仏分離により中禅寺は廃寺とされ、筑波山神社が復興されました。現在の主要な社殿は、中禅寺の跡地に形成されています。
近代以降の主要な出来事
- 明治2年(1869年): 白川伯王家の白川資義を祭主とする。
- 明治6年(1873年): 県社に列格。
- 昭和30年(1955年): 男体山本殿を改築。
- 昭和54年(1979年): 女体山本殿を改築。
筑波山神社の神階
筑波神の神階は以下の通りです。
- 弘仁14年(823年): 従五位下の筑波神を官社とする。
- 貞観13年(871年): 筑波男神は従三位、筑波女神は従四位上。
境内と名所
筑波山神社の境内は筑波山南面の海抜270メートル以上に広がり、その面積は354ヘクタールにも及びます。以下のような施設や名所があります。
筑波山中の社殿
男体山本殿は昭和30年(1955年)に、女体山本殿は昭和54年(1979年)に改築されました。これらの社殿は一間社流造であり、神聖な雰囲気を保っています。また、男体山頂には筑波山神社と筑波大学が共同で運営する気象観測所が設置されています。
名所と旧跡
筑波山には多くの名所や旧跡があり、以下のような場所が訪れる人々に親しまれています。
- 男女川の源流: 小倉百人一首の陽成院の歌の題材として有名。
- 紫峰杉: 樹齢約800年のスギ(男女川源流の近く)。
- 霊石・奇岩: 「弁慶七戻り」「母の胎内くぐり」「ガマ石」など。
拝殿周辺
拝殿周辺には、春日神社、日枝神社、つくば市指定天然記念物のマルバグス、樹齢約800年の大杉などがあります。また、楠木正成の孫である楠木正勝の墓や、国際科学技術博覧会で展示された「宇宙の卵」も見られます。
末社
筑波山神社には多くの末社があります。拝殿周辺には次の6つの社が鎮座しています。
日枝神社・春日神社
日枝神社は大山咋神を、春日神社は武甕槌神、経津主神、天兒屋根神、比売神を祀っています。両社は本社拝殿の左側に隣接して鎮座しており、拝殿を共有しています。
厳島神社
市杵島姫命を祀る厳島神社は、本社拝殿の南西に位置する池の中に鎮座しています。琵琶湖竹生島から勧請されたとされ、茨城県指定文化財に指定されています。
朝日稲荷神社
朝日稲荷神社は「出世稲荷」とも呼ばれ、本社拝殿の裏手に鎮座しています。嵯峨天皇第四皇子・常陸国太守忠良親王によって創建されたと伝えられています。
稲荷神社
朝日稲荷神社に隣接して鎮座しており、古くからの信仰を集めています。
愛宕神社
愛宕神社は本社拝殿の東側の奥に鎮座しています。
筑波山神社の参道と文化
参道
筑波山神社の参道は「つくば道」として古くから知られています。つくば市北条を起点として拝殿に至るこの道は、茨城県道139号筑波山公園線に踏襲され、その全区間が「日本の道100選」に選ばれています。春秋の御座替祭の際には、拝殿から一の鳥居まで神幸が行われ、参道の賑わいを一層引き立てます。
御座替祭
御座替祭(おざがわりさい)は、筑波山神社の例大祭であり、年2回、4月1日と11月1日に行われます。この祭りでは、夏・冬の神が神座を交替し、神の衣替えや幣帛の奉納が行われます。また、神幸祭では前期の神衣を納めた神輿が氏子区域を巡ります。
文化財
筑波山神社には多くの文化財が存在します。以下はその代表的なものです。
重要文化財(国指定)
- 太刀 銘吉宗(附 糸巻太刀拵)(工芸品): 鎌倉時代の備前一文字派の刀工による作刀。寛永10年に徳川家光から寄進されたものです。
茨城県指定文化財
- 神橋(建造物): 昭和54年11月1日指定。
- 境内社春日神社本殿・日枝神社本殿 及び両社拝殿(建造物): 昭和54年11月1日指定。
- 境内社厳島神社本殿(建造物): 昭和54年11月1日指定。
筑波山神社は、古代からの崇敬を今に伝え、その豊かな歴史と文化を多くの人々に伝えています。