東寺の見どころ
五重塔 ー 日本一の高さを誇る国宝
東寺の五重塔は日本一の高さ(約55メートル)を誇る木造塔であり、国宝に指定されています。初代の五重塔は9世紀に建立されましたが、度重なる火災で焼失し、現在の塔は江戸時代の1644年、徳川家光によって再建されたものです。
内部には大日如来を中心とする密教の尊像が安置され、特別公開の際に拝観することができます。
講堂 ー 最古の密教彫刻群
講堂(重要文化財)には、日本最古の密教彫刻群が安置されています。堂内には空海が示した「立体曼荼羅」が表現されており、大日如来を中心に五智如来や四天王など計21体の仏像が整然と配置されています。これらの仏像は平安時代に造立され、現在も当時のままの姿をとどめています。
金堂 ー 薬師如来を本尊とする国宝
金堂(国宝)は東寺の本堂であり、本尊として薬師如来が祀られています。現在の建物は慶長8年(1603年)、豊臣秀頼によって再建されたものです。堂内には、薬師如来のほか、日光・月光菩薩、十二神将が安置されています。
大師堂(御影堂) ー 弘法大師を祀る聖地
大師堂(国宝)は、空海(弘法大師)を祀る堂宇であり、「御影堂(みえいどう)」とも呼ばれます。東寺の信仰の中心となる場所で、毎朝6時には「生身供(しょうじんく)」と呼ばれる儀式が行われています。これは、空海が今も生きていると考えられ、毎朝食事を捧げるという伝統的な儀式です。
東寺の歴史
東寺は、平安京の守護と国家鎮護の役割を担う重要な寺院として創建されました。その後、弘法大師空海によって真言密教の根本道場となり、時代を超えて信仰を集め続けています。
創建と平安京の守護
東寺・西寺の建立計画
8世紀末、平安京の正門にあたる羅城門の東西に、それぞれ「東寺」と「西寺」という二つの寺院が建立される計画が立てられました。
この二つの寺は、それぞれ平安京の左京と右京を守る「王城鎮護の寺」であるとともに、東国と西国を守護する国家鎮護の官立寺院という役割も持っていました。
東寺の建立
南北朝時代に成立した東寺の記録書『東宝記』によると、平安京遷都直後の延暦15年(796年)に、藤原伊勢人が造寺長官(建設工事の責任者)となり、東寺を建立したとされています。
藤原伊勢人については、公式の史書や系譜には名前が記載されておらず、その実在については疑問視する声もあります。しかし、東寺ではこの延暦15年(796年)を創建の年として伝えています。
空海による東寺の発展
弘法大師への下賜
東寺創建から約20年後の弘仁14年(823年)、嵯峨天皇は東寺を弘法大師(空海)に下賜しました。これにより、東寺は真言密教の根本道場となります。
このことは『弘法大師二十五箇条遺告』(御遺告)にも記されており、以降、東寺は国家鎮護の官寺であると同時に、真言密教の中心的寺院としての役割を担うようになりました。
弘法大師信仰の広がり
平安時代後期になると、一時的に東寺は衰退します。しかし、鎌倉時代以降、弘法大師信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として、皇族から庶民に至るまで広く信仰を集めるようになりました。
特に、後白河法皇の皇女である宣陽門院は、空海に深く帰依し、霊夢のお告げに従って東寺に莫大な荘園を寄進しました。また、以下のような儀式を創始しました。
- 生身供(しょうじんく):空海が今も生きているかのように、毎朝食事を捧げる儀式。
- 御影供(みえく):空海の命日である毎月21日に供養を行う儀式。
「生身供」は21世紀の現代においても、毎朝6時から東寺の西院御影堂で行われており、多くの参拝者が訪れています。また、「御影供」が行われる毎月21日には、東寺の境内で骨董市「弘法市」(通称「弘法さん」)が開かれ、多くの人で賑わいます。
戦乱と復興
土一揆による焼失
中世以降、東寺は後宇多天皇、後醍醐天皇、足利尊氏など、多くの貴族や為政者からの援助を受けながら発展を遂げました。しかし、文明18年(1486年)に発生した土一揆によって、金堂・講堂・南大門などの主要な堂塔が焼失してしまいます。
豊臣秀吉と徳川家による再建
その後、延徳3年(1491年)には講堂が再建されます。さらに、天正19年(1591年)には豊臣秀吉により2,030石の知行が与えられ、財政的な基盤が強化されました。
また、金堂は慶長8年(1603年)に豊臣秀頼の寄進によって、片桐且元を奉行として再建されます。さらに、五重塔は寛永21年(1644年)に徳川家光の寄進によって再建され、現在に至ります。
近代の東寺
明治時代の火災と復興
明治時代に入ると、1868年(明治元年)10月21日、東大門から出火し、一部が焼失しました。しかし、その後の復興活動によって東寺は再び整備されます。
特に、1895年(明治28年)には、豊臣秀頼が慶長6年(1601年)に建てた三十三間堂の西大門が、東寺の南大門(重要文化財)として移築されました。
現在の東寺
東寺には、創建当時の建物こそ現存していませんが、南大門・金堂・講堂・食堂が南北に一直線に並ぶ伽藍配置や、各建物の規模は平安時代のまま保たれています。
また、東寺の執行(寺務の責任者)は、弘仁14年(823年)から1871年(明治4年)まで、空海の母方の叔父である阿刀大足の子孫が代々務めていました。
金堂(国宝)
金堂は東寺の中心堂宇であり、最も早く建設が開始された建物です。東寺が空海に下賜された弘仁14年(823年)までには完成していたと考えられています。しかし、文明18年(1486年)の土一揆によって焼失し、その後、約1世紀にわたって再建されませんでした。
現在の金堂は、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼の寄進により再建されたものです。工事は片桐且元が奉行を務め、入母屋造本瓦葺きの建築様式で建てられました。外観は二重に見えますが、実際は一重で裳階(もこし)が付いています。建築には和様と大仏様(天竺様)の要素が取り入れられ、特に貫や挿肘木を多用することで高い天井を支えています。
内部構造と安置仏
堂内は広々とした空間で、本尊である薬師如来坐像と、その両脇に日光菩薩・月光菩薩像が安置されています。
木造薬師如来および両脇侍像(重要文化財)
- 薬師如来坐像(像高288cm)
- 日光菩薩像(像高290cm)
- 月光菩薩像(像高289cm)
これらの三尊像は慶長7年(1602年)から慶長9年(1604年)にかけて、七条大仏師康正が康理・康猶・康英らとともに制作しました。中尊の薬師如来は寄木造で漆箔仕上げ、玉眼を使用しています。台座には十二神将像が配置され、こちらも寄木造・彩色・玉眼の仕様です。
建築の特徴と豊臣秀吉との関係
金堂は、豊臣秀吉が造立した方広寺初代大仏殿(京の大仏)を模したと伝えられています。その証拠として、慶長11年(1606年)作とされる狩野内膳の『豊国祭礼図屏風』に描かれた大仏殿の外観と、東寺金堂の外観が非常に類似していることが挙げられます。
観相窓の謎
金堂には、堂外から内部の仏像を拝観できるように「観相窓」が設けられています。しかし、この窓の高さが薬師如来の御顔と合っておらず、開けても光背しか見えません。このことから、金堂のデザインは本来、大仏を安置するためのものであり、薬師如来像のために設計されたわけではないと考えられています。
修理工事と棟札の発見
金堂の修理工事では棟札が確認され、そこには豊臣秀頼の寄進によること、片桐且元が奉行を務めたことが記されていました。また、方広寺の鐘銘に類似した「国家太平 臣民快楽」の文言が確認されています。これは、豊臣家と徳川家の対立を生んだ方広寺鐘銘事件を想起させるものでもあります。
講堂(重要文化財)
歴史と再建
講堂は、金堂の北側に位置し、東寺が空海に下賜された弘仁14年(823年)にはまだ建立されていませんでした。天長2年(825年)に空海が着工し、承和6年(839年)に完成しました。当時は金堂と講堂の周囲を回廊が巡る形でしたが、文明18年(1486年)の土一揆による火災で焼失しました。その後、延徳3年(1491年)に再建されました。
立体曼荼羅
講堂には、大日如来を中心とした密教尊が安置され、立体曼荼羅を構成しています。須弥壇には以下の尊像が配置されています。
- 中央:大日如来を中心とする五智如来(五仏)
- 東側:金剛波羅密多菩薩を中心とする五大菩薩
- 西側:不動明王を中心とした五大明王
- 須弥壇の東西端:梵天・帝釈天像
- 四隅:四天王像
これら21体の仏像によって、密教の世界観を表す立体曼荼羅が形成されています。
立体曼荼羅の思想的背景
立体曼荼羅の尊像構成については、古くから多くの議論が交わされてきました。
仁王経曼荼羅説
伝統的には、この立体曼荼羅は仁王経曼荼羅を表していると考えられてきました。仁王経曼荼羅とは、鎮護国家を目的とした修法であり、『仁王念誦儀軌』に基づいています。しかし、講堂の尊像構成が完全には一致しないため、この説には疑問も残されています。
空海の独自構想説
建築史家・足立康は1940年の論文で、「講堂立体曼荼羅は、空海が『金剛頂経』『仁王経』などから適宜選んで配置した」と主張しました。これを発展させた仏教学者・高田修は、三輪身説(五仏=自性輪身、五菩薩=正法輪身、五明王=教令輪身)に基づく配置であるとしました。
最新の研究
近年、2009年に仏教学者・原浩史が「広義の『金剛頂経』に基づく」とする新説を提唱しました。この説では、空海が当時知られていた密教経典を総合して独自の立体曼荼羅を構想した可能性が指摘されています。
五重塔(国宝)
東寺の五重塔は、日本で最も高い木造塔として知られています。
五重塔の基本情報
- 高さ:54.8メートル(木造建築として日本一)
- 創建:天長3年(826年)、空海による発願
- 現存の塔:寛永21年(1644年)、徳川家光の寄進で再建
五重塔の歴史
東寺の五重塔は、これまでに雷火や不審火によって4度焼失し、現在の塔は5代目にあたります。最初に創建されたのは空海の時代ですが、実際に完成したのは空海の没後、9世紀末のことでした。
内部の仏像と装飾
通常、五重塔の初重内部は非公開ですが、特別公開時には貴重な仏像群を拝観できます。
内部に安置されている仏像
- 東面:阿閦如来、弥勒菩薩、金剛蔵菩薩
- 南面:宝生如来、除蓋障菩薩、虚空蔵菩薩
- 西面:阿弥陀如来、文殊菩薩、観音菩薩
- 北面:不空成就如来、普賢菩薩、地蔵菩薩
境内
東大門(重要文化財)
建久9年(1198年)に再建され、慶長10年(1605年)に大規模な改修が行われました。 新田義貞の攻撃から足利尊氏がこの門を閉めて逃れたという故事から「不開門(あかずのもん)」と呼ばれています。
宝蔵(重要文化財)
平安時代後期に建てられた校倉(あぜくら)造の倉庫で、東寺に現存する最古の建築物です。 床板は、かつて金堂や羅城門の扉であった可能性があると言われています。
食堂(じきどう)
元々は講堂の北側に位置する観音堂で、初代の建物は9世紀末から10世紀初めにかけて建立されました。 1930年(昭和5年)の火災で焼失後、昭和8年(1933年)に再建されました。
本尊
明珍恒男作の十一面観音像が安置されており、洛陽三十三所観音霊場第23番札所となっています。
四天王像
高さ3mを超える四天王立像が安置されており、日本最大級のものとされています。
夜叉神堂
雄夜叉(本地文殊菩薩)と雌夜叉(本地虚空蔵菩薩)を祀る東西2棟の小堂です。
北大門(重要文化財)
東寺の北側に位置し、荘厳な佇まいを見せる門です。
宝物館
1965年(昭和40年)に開館した鉄筋コンクリート造の建物で、春と秋の特別展で寺宝が展示されます。
弁天堂
音楽・技芸・財産を司る弁才天を祀る堂宇です。
御影堂(大師堂・国宝)
空海が住んでいた「西院」の一画に建つ住宅風の仏堂であり、現在も多くの参拝者が訪れます。
本尊
弘法大師坐像(国宝)や不動明王坐像(国宝)が安置されています。 毎朝6時には「生身供(しょうじんく)」と呼ばれる儀式が行われ、多くの信者が参拝します。
庭園「澄心苑」
近代の名作庭師・七代目小川治兵衛(植治)による作庭の庭園です。
蓮花門(国宝)
鎌倉時代に再建された八脚門で、本坊の西側に位置します。 空海が最後に京都を離れた際に通った門であることから、特別な意味を持つ門とされています。
灌頂院(重要文化財)
境内南西隅にあり、密教の儀式である「伝法灌頂」や「後七日御修法」が行われる特別な堂宇です。
東寺の庭園
東寺の境内には、美しい池泉回遊式庭園があり、四季折々の風景を楽しむことができます。
瓢箪池
境内の中央に位置する五重塔を背景にした池で、風景が水面に映る様子は非常に美しく、写真撮影の人気スポットとなっています。特に春の桜や秋の紅葉の時期には美しい景色が広がります。
蓮池
夏には蓮の花が美しく咲き誇り、静寂な雰囲気を演出します。
東寺の文化財
東寺(教王護国寺)の境内には多くの国宝や重要文化財が保存されており、建築、絵画、彫刻、工芸品、書跡・典籍、古文書など、多岐にわたる文化財が伝えられています。
国宝
建造物
- 金堂
- 五重塔
- 大師堂(御影堂)
- 蓮花門
- 観智院客殿
絵画
絹本著色真言七祖像
真言宗の祖師7人の肖像画。7幅のうち5幅は空海が唐から持ち帰ったものであり、唐時代の貴重な遺品です。
絹本著色五大尊像
宮中で正月の8日から14日まで行われた「後七日御修法」の際に道場に掛けられた仏画で、平安後期の作とされます。
絹本著色両界曼荼羅
日本に伝わる両界曼荼羅のうち最も著名なもの。色彩の鮮やかさや、インド風の官能的な仏の肢体が特徴的です。「西院曼荼羅」とも称され、平安時代初期(9世紀)に作られました。
絹本著色十二天像 六曲屏風一双
鎌倉時代、宅磨派の作によるもの。
彫刻
木造五大菩薩坐像
金剛薩埵・金剛法・金剛宝・金剛業の4躯、附 木造金剛波羅蜜菩薩坐像。講堂に安置されています。
木造五大明王像
不動明王・降三世明王・大威徳明王・軍荼利明王・金剛夜叉明王の5躯で、講堂に安置されています。
木造弘法大師坐像(康勝作)
大師堂(御影堂)に安置されており、鎌倉時代の仏師・康勝の作とされています。
工芸品
密教法具(伝弘法大師将来)
唐時代の密教法具で、金銅金剛盤、金銅五鈷鈴、金銅五鈷杵などが含まれます。
犍陀穀糸袈裟・横被
空海が唐から持ち帰った染織工芸品。
海賦蒔絵袈裟箱
平安時代初期の漆工芸品で、袈裟を収納するために作られたものです。
書跡・典籍、古文書
弘法大師筆尺牘(風信帖)
空海自筆の手紙3通を巻物にしたもので、日本の書道史において極めて貴重な作品です。
弘法大師請来目録
空海が唐から持ち帰った品の目録で、最澄によって筆写されたものです。
重要文化財
建造物
- 講堂
- 慶賀門
- 東大門
- 南大門
- 北大門
- 北総門
- 宝蔵
- 灌頂院、同北門、同東門
- 五重小塔
絵画
絹本著色十一面観音像
平安時代に描かれた仏画で、十一面観音の姿を色鮮やかに表現しています。
紙本著色弘法大師行状絵詞
12巻からなる書物で、弘法大師(空海)の生涯を絵と文章で記したものです。
彫刻
木造薬師如来及両脇侍像
金堂に安置される本尊。台座下には十二神将像が配置されています。
木造大日如来坐像
講堂に安置される仏像で、明応二年(1493年)の銘がある。
工芸品
金銅舎利塔
仏舎利を納めるための工芸品で、精緻な装飾が施されています。
東寺の魅力 ー 四季折々の風景と特別拝観
春と秋のライトアップ
春と秋には境内が美しくライトアップされます。特に紅葉の時期には、朱色に染まる木々と五重塔が幻想的な景観を生み出し、多くの観光客が訪れます。
弘法市 ー 毎月21日の骨董市
毎月21日には東寺の境内で「弘法市(弘法さん)」と呼ばれる骨董市が開かれます。この日は弘法大師の命日にあたり、仏具や骨董品、工芸品などが販売され、多くの参拝者や観光客で賑わいます。
特別公開
- 春・秋の観光シーズンには、五重塔の初重内部が特別公開されることがあります。
- 観智院などの非公開エリアが期間限定で公開されることもあります。
年中行事
- 1月1日:修正会(しゅしょうえ)
- 2月3日:節分会
- 3月21日:弘法大師御影供
- 12月21日:終い弘法(年末の縁日)
東寺へのアクセス情報
交通アクセス
- JR京都駅から:徒歩約15分
- 近鉄東寺駅から:徒歩約5分
- 市バス「東寺東門前」停留所から:徒歩すぐ
まとめ
東寺は、真言密教の総本山としての歴史を誇り、日本一高い五重塔をはじめとする多くの文化財を有する寺院です。四季折々の美しい風景、密教彫刻の数々、そして弘法大師への篤い信仰が息づくこの寺は、訪れる人々に深い感動を与えます。
京都を訪れた際には、ぜひ東寺の歴史と文化に触れてみてください。