金閣寺と銀閣寺は苔寺を模した
1382年に室町幕府の第3代征夷大将軍である足利義満が西芳寺を訪れ、道服を着用して禅堂で夜どおし坐禅をした。
その後も何度か訪れ、1397年に西芳寺を模して金閣寺を創建した。
応仁の乱に巻き込まれ1469年は西芳寺は焼失したが、室町幕府の第8代将軍の足利義政により禅堂が再建された。
その後、足利義政は西芳寺に何度か訪れ、西芳寺と金閣寺を模して1490年に銀閣寺を創建した。
当時は苔がなかった
苔寺と呼ばれるほど、境内を覆う緑色の美しい苔が印象的な回遊式庭園の苔。
池の周囲を埋め尽くす100種類以上といわれる苔は夢窓疎石の時代からあったものではなく、今のような苔庭になったのは江戸時代の末期のことといわれる。
庭園の中心に位置する、木立の中にある池、黄金池は心の字をかたどっていて、心字池とも呼ばれている。
池には朝日ヶ島、夕日ヶ島、長島(霞島)と呼ぶ3つの島があり、小島には白砂が敷かれ松が植えられた。
東側には本堂(西来堂)、書院、三重納経塔などがある。
日本最古の枯山水庭園
枯山水は水を用いずに岩や砂などで山水を表現した日本庭園で、
それまでの庭園は池を中心とした池泉庭園が主流だった。
夢窓疎石は1339年に西芳寺にて石組で禅の庭を造形し、境地を重んじる禅の本質を表現した。
非常に革新的なものであり、枯山水庭園の原点となっている。
夢窓疎石は世界史上最高の作庭家の一人であり、その禅庭は、わび・さび・幽玄として以降の日本における美の基準を形成した。
斜面を利用した立体的な庭園
35,000平方メートルの広大な西芳寺庭園は山の斜面を利用した立体的な上下二段構えで、
山麓に位置する「下段の庭」は黄金池(心字池)を中心とする苔の庭で池泉回遊式庭園。
「上段の庭」は夢窓疎石により築かれた日本最古の枯山水庭園で、
山腹に指東庵という禅堂があり、巨石を組み、滝を象徴している。
この禅堂より山に登る道があって、頂上には桂川周辺を展望する休憩所があった。
西芳寺の伝承
西芳寺のある場所は飛鳥時代(西暦600年頃)には第31代用明天皇の皇子である聖徳太子の別荘があり、聖徳太子作の阿弥陀如来像が祀られていたという。
第45代の聖武天皇の勅願を得た仏教僧の行基が731年に別荘から寺院へと改めたと伝える。
その後に寺が荒廃しており、1339年に室町幕府の重臣が作庭の名手でもあった夢窓疎石を招き再興した。
観光寺院から拝観主体へ
1928年より庭園が一般公開され、1969年に本堂が再建された。
1977年からは一般の拝観を中止し、観光や見学ではなく、本堂の読経や写経などの宗教行事に参加することが拝観の条件となった。
以降、参加には事前申し込みが必要で、庭園だけの拝観はおこなっていない。
茶室「湘南亭」
夢窓疎石の時代に建てられ、その後に荒廃していたが、わび茶の完成者とされる千利休の次男・千少庵によって安土桃山時代に再興されたと伝えられる茶室。
幕末には政治家の岩倉具視がここにかくまわれていたことで知られる。
庭園内には湘南亭(重要文化財に指定)以外にも、少庵堂、潭北亭の2つの茶室がある。