稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とする、
全国三万社あるといわれる稲荷神社の総本宮。
「おいなりさん」と呼ばれ、日本屈指の参拝者数と歴史をもつ神社。
本殿背後より山頂へ続く参拝道に
「千本鳥居」と呼ばれる朱の鳥居がどこまでも連なり
その神秘的な景色に魅せられた多くの参拝者が国内外から訪れる。
本殿背後から奥社奉拝所へ続く参道の約150メートル、隙間なく並ぶ鳥居。
願いの通り道として、願い事が「通る」意味から
願いが通った感謝のしるしとして鳥居を奉納することが
江戸時代以降に広がった結果です。
その数は現在で圧巻の約1万基。
江戸時代から続く願いと感謝が今日の名所「千本鳥居」を形作っている。
711年の鎮座以来、平安の昔より多くの民衆に信仰され、
五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、諸願成就の守護神として崇められてきた。
清少納言が自らの稲荷詣を『枕草子』に記すほか、『蜻蛉日記』『今昔物語』など古典にもしばしば登場している。
1946年に他の多くの稲荷神社と混同することを避けるため社名を「伏見稲荷大社」と改称。
稲荷神社の祭神は宇迦之御魂大神など五柱。
きつね(白狐)は神様ではなく
「稲荷大神様」のお使い(眷族)とされていて、
目には見えない霊獣。
奥社「奥の院」では絵馬は馬のかわりに狐の絵が描かれた願掛け絵狐(きつね)を奉納する。
境内のきつねは様々な宝具をくわえている。
908年には藤原時平の寄進により社殿が造営され、源頼朝や足利義教らが社殿の造営、修造に関わった。
室町時代の1467年に発生し、約11年間にわたって継続した内乱「応仁の乱」により
1468年に攻撃を受けて稲荷社は山上の建物を含めてすべて焼きつくされた。
楼門は1589年に豊臣秀吉が母の病悩平癒祈願が成就したことにより再建。重要文化財。
稲荷山の麓、表参道の一番鳥居から楼門、外拝殿(舞殿)、内拝殿、本殿が一直線に並ぶ。
本殿の背後に、斎場と千本鳥居から続く稲荷山の神蹟群がある。本殿は1494年に再建。重要文化財。
神域である稲荷山の麓にある本殿の背後より続く
朱の鳥居が続く参拝道の千本鳥居を通り
稲荷山山頂、標高233メートルにある一ノ峰上社まで稲荷山に登る、
神蹟やお塚を巡拝する往復2時間のその道のりは「お山めぐり」「お山する」と呼ばれる。
お山めぐりの途中、四ツ辻近辺からは、京都市南部を一望できる。
奥社奉拝所の奥にある一対の石灯篭の頭の位置に「おもかる石」という石がある。
この石は試し石のひとつで、灯篭の前で願い事を念じて持ち上げた時、
重さが予想していたより軽ければ願いが叶い、重ければその願いは叶わないといわれている。
伏見稲荷大社の楼門内にある東丸神社は独立した神社で学問の神として信仰されている。
色とりどりの千羽鶴が華やか。
終日(祈祷は8:30~16:30、授与所は7:00~18:00頃)
参拝自由
JR奈良線稲荷駅から徒歩すぐ
京阪電鉄京阪本線伏見稲荷駅から徒歩で5分