平安の栄華を今に伝える
京都南郊の宇治の地は、『源氏物語』の「宇治十帖」の舞台であり、
平安時代初期から貴族の別荘が営まれていた。
現在の平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルともいわれる嵯峨源氏の左大臣源融が営んだ別荘だった。
後に朱雀天皇の離宮「宇治院」となり、公卿(国政を担う職位)藤原道長の別荘「宇治殿」を経て、道長の子である関白・藤原頼通によって寺院として「平等院」が1052年に創建された。
宇治殿の寝殿を改造して本堂(金堂)に、大日如来像を本尊とした。
翌1053年には、西方極楽浄土をこの世に出現させたかのような阿弥陀堂(現・鳳凰堂)を建立。
平安時代後期の京都では、平等院以外にも皇族・貴族による大規模寺院の建設が相次いでいたが
平安時代の貴族が建立した寺院が建物・仏像・壁画・庭園まで含めて残存するという点で、平等院は唯一の史跡。
国宝 鳳凰堂
阿弥陀堂として建てられ、江戸時代初期には「鳳凰堂」の名で呼ばれている。
現在は本堂で、本尊で仏師・定朝の作品である国宝・阿弥陀如来坐像が安置されている中堂と、左右の翼廊、背面の尾廊で成り立つ。
内部は絢爛な宝相華文様や極彩色の扉絵で装飾されている。
大屋根には一万円札に描かれている銅製・鳳凰が飾られる。
1968年以降、保存上の観点から複製の鳳凰像が設置されていて、実物の鳳凰像(国宝)は鳳翔館に収蔵。
国宝 菩薩像
鳳凰堂中堂の長押上の壁を飾る浮き彫りの菩薩像「木造雲中供養菩薩像」52躯が現存し、すべて国宝に指定。いずれの像も飛雲に乗ることから、阿弥陀如来と共に来迎する菩薩像を表したものとみられる。
各像のポーズは変化に富み、琴、琵琶、縦笛、横笛、笙、太鼓、鼓、鉦鼓などの楽器を奏する像が27体あり、他には合掌するもの、幡や蓮華などを持つもの、立って舞う姿のものなどがある。
鳳凰堂中堂 壁扉画
中堂の扉12面、壁4面は、国宝建造物の一部であると共に、そこに描かれた絵は絵画部門の国宝にも指定されている(扉12面のうち2面は附指定)。
主な主題は『観無量寿経』に基づく九品来迎図である。
浄土式の庭園
鳳凰堂が建っている中島と、それを取り囲んでいる極楽の宝池を模した阿字池を中心とした浄土式庭園。国の史跡・名勝に指定されている。
創建当初は宇治川や、対岸の山並みを取り入れて、西方極楽浄土を現したものといわれ、各地の寺院造営に影響を与えた。
1990年からの発掘調査により平安時代の築造の州浜が創建当初の姿に復元整備され
鳳凰堂への入堂は、池の北岸から2つの小橋を渡る当初の形式になった。
平等院 鳳翔館
境内南側に2001年に開館した博物館、平等院ミュージアム「鳳翔館」では、コンピュータグラフィックスを使用した堂内再現映像を見られる。
国宝の梵鐘、雲中供養菩薩像、鳳凰一対、木造雲中供養菩薩像 52体のうちの26体を収蔵。
境内
鳳凰堂、庭園、平等院ミュージアム「鳳翔館」のほか境内には表門(北門)、南門、鐘楼、本堂跡に建てられた鎌倉時代初期の建築の観音堂、浄土院、最勝院がある。
かつての平等院には数多くの堂塔が建ち並んでいたが失われた。
1180年に橋合戦で敗れた源頼政が、当院の「扇の芝」で自害した。
最勝院には源頼政の墓がある。