日本三景のひとつとして知られる名勝地。
湾を囲むように弓なりに南北に隔てる砂州が
逆さになって見ると天に架かる橋のように見えることから「天橋立」の名が付いた。
全長3.6キロメートルにもなる細長く延びる天橋立の全体像は
距離と高さのある展望所から眺めることができる。
代表的な2つの視点は、南側の文珠山の山頂にある天橋立ビューランドからの眺望。
天舞い昇る龍のようで「飛龍観」と呼ばれる。
北側の傘松公園からの眺めは「斜め一文字」と呼ばれ、「股のぞき」発祥の地とも言われている。
宮城県の松島、広島県の宮島とともに日本三景に数えられ、
古くから詩歌に詠まれ、絵画に描かれていた。
宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる天橋立は、
幅は約20~170メートル、全長3.6キロメートルの細長く延びた砂州に
約5,000本もの松が茂る個性的な地形。
7,000年前までは天橋立の原型すらなかったが、海面の上昇によって海底に砂州が形成され、2,200年前に地震による影響で海面上に現れた。
江戸時代になって現在の形になったと推測されている。
天橋立の全体像は遠景からしか見られないが
松林と砂浜の続く海に挟まれた道は
日本の名松100選、日本の白砂青松100選、日本の渚100選、日本の道100選に選ばれていて
近くからでも美しい景色を楽しめる。
南端には天橋立と陸地をつなぐ橋がかかっていて
歩いて対岸まで行くことができる。
天橋立の南側にある文珠山の山頂にある遊園地、天橋立ビューランドの園内に展望台があり、
「股のぞき」スポットからは、天舞い昇る龍に例えられる「飛龍観」と呼ばれる天橋立の景観を眺められる。
近年、天橋立は侵食により縮小・消滅の危機にあり、消滅から守るために、砂の流出を防ぐ堤防が一定の間隔で築かれている。
この堤防に砂がたまって右側の部分は、白っぽくギザギザな形をしている。
100年前は現代よりスリムで弓なりの美しい曲線を描いていたとされ
以前より歪に変形したといわれているが、潮流による侵食と浸食から守る堤防が龍の姿を造り出した。
天橋立ビューランドのある山頂までは、天橋立駅からモノレール(スロープカー)もしくはリフトで行くことができる。
天橋立の北側には長い歴史を持つ由緒ある神社「籠神社」があり、
その裏にあるケーブルカーかリフトで山を登った海抜130メートルの成相山中腹に位置する公園「傘松公園」は眺望が良く、観光名所のひとつになっている。
園内の階段を徒歩3分ほど登ると、公園の名前の由来にもなった「傘松」という名の松があり、「股のぞき発祥の地」と書かれた展望台がある。
ここから股のぞきを行うことで、天地が逆転し、細長く延びた松林が一瞬天にかかる橋のような情景を愉しむことができる。
天橋立の南側には智恵を授かる文殊さんとして有名な智恩寺がある。
808年に創建された伝わり、「三人寄れば文殊の知恵」などと言われる、知恵をつかさどる文殊菩薩が本尊。
古くから知恵を授かるとして信仰され、学問成就や合格祈願で受験生やその家族がお参りに訪れている。
山門を建立にあたり後桜町天皇が黄金を寄贈したことから
黄金閣とも呼ばれる丹後地方最大の山門があり、
山門前にある門前町は、土産物屋やレストラン、旅館やホテル、民宿などが並ぶ。
食べれば智恵を授かると言われている、門前にある四軒の茶屋でのみ作られる名物の「智恵の餅」。
まだ智恩寺の前には浜しかなかった頃、とある老婆が門前で餅を売り始めた。
この餅を食べて智恵を授かったという言い伝えにより智恵の餅と呼ばれ、この餅を起源とする茶屋が今でも余計なものを使わず昔ながらの製法で作り続けている。
柔らかな食感の餅にたっぷりとのった餡は、ここでしか味わうことができない。
かつて智恩寺のある陸地から天橋立には「久世戸の渡し」といわれ渡し船で渡っていた。
江戸時代までに描かれた絵には天橋立の南側から陸地まではかなり離れている。
江戸時代後期から明治時代前期にかけて間の海に小天橋と呼ばれる島のように砂州が形成された。
陸地から小天橋を渡す可動橋が1923年にできた。
この橋は大型船が通過するたびに橋の中央部分が手動で90度まわる珍しい橋。
1957年には旋回が電動式になり、現在の旋回橋となった。
廻旋橋の脇に船の安全を祈って建立された知恵の輪灯篭があり、
江戸時代には、輪の中に明かりがともされ、行き来する船の標になっていた。
この灯篭の輪を3回くぐり抜けると知恵が授けられると言い伝えられている。
廻旋橋を渡った先の天橋立公園内には松並木に囲まれた老舗の茶屋「はしだて茶屋」があり、
名物の「あさり丼」、「黒ちくわ」など松並木を眺めながら味わえる。
天橋立の中央あたりには天橋立神社があり、近くにある井戸から湧く水「磯清水」は
辺りを海に囲まれていながら少しも塩味を含んでいない不思議な湧水として珍重されてきた。
名水百選に選ばれていて、和泉式部が「橋立の 松の下なる磯清水 都なりせば 君も汲ままし」と詠ったと伝えられている。
室町時代に活躍した水墨画家・禅僧の雪舟が1501年頃に天橋立に赴き描いた『天橋立図』が現存していて
京都国立博物館にあり、国宝に指定されている。
天橋立図には南側の廻旋橋でつながる南砂州がなく、
智恩寺や籠神社など寺社が描かれている。
天橋立の南側の廻旋橋へは京都丹後鉄道宮豊線「天橋立駅」から徒歩で5分。
天橋立の南端から北端(全長約3.6km、廻旋橋から船越の松まで約2.4km)は、徒歩で約50分、自転車で約20分程度。
北側の傘松公園へは天橋立駅から路線バスで傘松ケーブル下のバス停まで約25分。