概要
鶴林寺はその歴史的背景や文化財の豊富さから、多くの参拝者や観光客が訪れる場所となっています。本堂や太子堂をはじめとする建造物は、国宝や重要文化財に指定されており、これらの建造物は日本の建築技術と文化の発展を示す貴重な遺産です。
歴史
伝承によれば、鶴林寺の創建は崇峻天皇2年(589年)にまでさかのぼり、聖徳太子が当時物部守屋に迫害されて播磨の地にいた高麗僧・恵便(えべん)のために、秦河勝に命じて建立させたとされています。また、養老2年(718年)には、身人部春則(むとべのはるのり/みとべのはるのり)なる人物が七堂伽藍を整備したという伝承もありますが、これらは伝承の域を出ないものです。
推古天皇14年(606年)には、聖徳太子が法華経を講義し、その功績により天皇から播磨国の水田百町を賜ったことが史実とされており、聖徳太子と播磨の地には何らかの関連があったと考えられています。創建時には「四天王寺聖霊院」と呼ばれていましたが、天永3年(1112年)に鳥羽天皇によって勅願所に定められた際、「鶴林寺」と改められました。
文化財の守護
鶴林寺には飛鳥時代後期(白鳳期)の銅造聖観音像「あいたた観音」があり、本堂の本尊である薬師三尊像は平安時代前期・10世紀にさかのぼる古像です。現在も主要な堂塔だけで16棟の大伽藍を有していますが、鎌倉時代・室町時代には太子信仰の高まりもあって、寺坊だけで30数箇坊以上を有する規模であり、寺領も2万5千石を有していました。
戦国時代の保護
戦国時代には近隣の圓教寺が戦火に巻き込まれるなどしましたが、鶴林寺は当時の建築物が多数現存しており、これは姫路領主であった黒田職隆、黒田孝高親子の説得によって、織田信長派に属し、戦火を免れたためです。その後、黒田家は福岡藩の大封を得て鶴林寺で大規模な法要を行い、礼として金銀を寄進しました。寺には黒田職隆、孝高と交わした書状が多数残っています。
江戸時代から現代までの変遷
しかし、江戸時代に入ると次第に鶴林寺は衰退し、塔頭は8箇坊、寺領は117石にまで落ち込みました。明治時代に神仏分離が行われると、塔頭は宝生院・浄心院・真光院の3箇寺のみとなりました。山陽鉄道(現在のJR神戸線)の加古川駅が開業すると、その周辺に門前町が形成され、鶴林寺自体は鳩里村に属する田園地帯の中に位置することとなりました。
境内と塔頭の整備
現在、鶴林寺の境内および塔頭の周囲三方が「鶴林寺公園」として整備され、C11形蒸気機関車などが展示されています。また、寺には数多くの国宝や重要文化財があり、それらは日本の文化財として保護されています。
本堂と太子堂
本堂の特徴
鶴林寺の本堂は、扉が桟唐戸(縦横に桟を組んだ扉)であり、組物は肘木を前方に2段持ち出した「二手先」とされ、中備には蟇股(かえるまた)と双斗(ふたつと)を組み合わせたものが用いられています。この本堂は国宝に指定されており、堂内の宮殿(厨子)には応永4年(1397年)の建築とわかる棟札(むなふだ)銘が残されています。本堂は、和様に禅宗様を加味した折衷様建築の代表作であり、その内部には秘仏の薬師三尊像と二天像(各重要文化財)が安置されています。
太子堂の特徴
太子堂もまた国宝に指定されており、その屋根は宝形造(四角錐形の屋根)で檜皮葺きです。堂内には壁画の聖徳太子像があり、これが太子堂と呼ばれる所以です。堂内には本尊釈迦三尊像(重文)が安置されており、平安時代絵画の稀少な遺品として重要視されています。特に、東側壁面に描かれた聖徳太子像は中世から秘仏扱いとされ、現在も秘仏として扱われています。
来迎壁の壁画
本尊背後の来迎壁には九品来迎図と仏涅槃図が描かれており、これらの壁画は平安時代の絵画として非常に貴重です。壁画は黒ずんでいて肉眼では図柄を確認できないため、赤外線写真によってその全貌が確認されています。
鶴林寺の境内
鶴林寺の境内には、多くの歴史的な建造物や文化財が存在しています。これらの建物や遺品は、日本の歴史と文化を学ぶ上で非常に重要な資源となっています。
主要な建造物
本堂(国宝): 応永4年(1397年)再建。
太子堂(国宝): 天永3年(1112年)再建。
石造宝篋印塔(兵庫県指定有形文化財): 南北朝時代の造。
石風呂: 鐘楼(重要文化財): 応永14年(1407年)再建。
法華一石一字塔: 石塔。明和8年(1771年)造。
観音堂: 宝永2年(1705年)再建。
護摩堂(重要文化財): 永禄6年(1563年)再建。
弁天社: 宝物館: 2012年(平成24年)に太子堂創建900年を記念して新しい宝物館が作られた。
塔頭とその周囲
東門
真光院(塔頭)
宝生院(塔頭)
浄心院(塔頭)
西門
常行堂(重要文化財): 平安時代再建。
講堂
新薬師堂
三重塔(兵庫県指定有形文化財): 室町時代再建。1976年(昭和51年)に放火で内部を焼損し、1980年(昭和55年)に修理が完成。
経蔵
行者堂(重要文化財): 応永13年(1406年)築。
仁王門(兵庫県指定有形文化財): 寛文12年(1672年)再建。
子安地蔵堂
鶴林寺の文化財
国宝
本堂: 附:宮殿棟札 2枚
太子堂
重要文化財
建造物
常行堂: 鐘楼、行者堂、護摩堂
絵画
阿弥陀三尊像(高麗)
絹本著色聖徳太子像: 鎌倉時代
絹本著色慈恵大師像: 鎌倉時代
絹本著色阿弥陀三尊像: 高麗時代
板絵著色聖徳太子像: 平安時代
附:板絵著色仏涅槃図、板絵著色九品来迎図: 平安時代
彫刻
聖観音立像: 銅造聖観音立像 - 飛鳥時代後期(白鳳期)
兵庫県指定有形文化財
建造物
三重塔: 寛文12年棟札、元禄10年棟札、文化9年棟札
仁王門: 石造宝篋印塔
彫刻
木造阿弥陀如来坐像: 平安時代
木造僧形坐像(伝恵便法師像): 平安中期
木造聖徳太子立像: 室町時代
二臂如意輪観音半跏思惟像: 平安後期
工芸
懸仏: 聖観音・如意輪観音、薬師如来、如意輪観音
机: 天正4年(1576年)2月高砂城主・梶原景行が寄進
加古川市指定有形文化財
絵画
聖徳太子絵伝 3幅: 室町時代
釈迦三尊十六善神像 1幅: 室町時代
天台十大師図 10幅: 室町時代
月例行事と年中行事
月例行事
毎月8日: 写経と法話の会
毎月18日: 観音講
年中行事
1月1日: 初詣
1月8日: 修正会(鬼追い)
2月15日: 涅槃会
交通アクセス:
JR加古川駅から: かこバス・別府ルートで8分、「鶴林寺」下車、徒歩すぐ
JR加古川駅から: かこバス・東加古川ルートおよび神姫バス・21系統安田東ファミールハイツ行きで7分、「北在家東口」下車、徒歩5分
山陽電鉄本線尾上の松駅下車、徒歩15分。
かつて: 国鉄高砂線鶴林寺駅が至近距離に立地していたが、1984年に廃止された。