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天空の城 竹田城

(たけだじょう)

日本のマチュピチュ

竹田城は、兵庫県朝来市和田山町竹田に位置する、かつて存在した日本の山城です。その壮大な石垣が雲海に浮かび上がる姿から、「天空の城」や「日本のマチュピチュ」として広く知られています。

竹田城は、標高353.7メートルの古城山(虎臥山)の山頂に築かれ、南北約400メートル、東西約100メートルの縄張りを持っています。天守台を中心に、本丸、二の丸、三の丸、南二の丸が連郭式に配置されており、北千畳部と南千畳を双翼としています。

また、天守台北西部には「花屋敷」と呼ばれる一郭が存在します。この城は築城から約400年が経過していますが、石垣はほぼそのままの状態で残っており、日本でも屈指の規模を誇る山城として評価されています。

「虎臥城」の別名と国指定史跡

竹田城の縄張りが虎が臥せているように見えることから、「虎臥城(とらふすじょう、こがじょう)」という別名が付けられています。また、この城跡は国の史跡にも指定されており、その壮大な姿は訪れる人々を魅了しています。特に雲海に浮かび上がる古城の堂々たる石垣の姿は、地元の名物として広く知られています。

竹田城の歴史

室町時代の築城とその背景

竹田城の築城については不明な点が多いですが、江戸時代末期に成立した『和田上道氏日記』によれば、嘉吉年間(1441年 - 1443年)に丹波国と播磨国の出入口である竹田の地に「安井ノ城」が築かれたとされています。この「安井ノ城」が竹田城を指していると考えられています。

嘉吉3年(1443年)、但馬守護山名宗全(持豊)によって竹田城が築かれ、太田垣光景が初代城主に任じられたという伝承が残っています。当時の竹田城は、播磨と但馬の国境を守る拠点であり、播磨を平定するための出撃の拠点として重要な役割を果たしていました。

戦国時代の竹田城

応仁の乱(1467年 - 1477年)が発生すると、但馬は細川氏と山名氏の争いの舞台となり、竹田城もその戦局に巻き込まれました。竹田城の城主であった太田垣氏は、幾度となく細川軍と交戦し、竹田城を守り抜きましたが、その後も細川氏や赤松氏との戦いが続きました。

その後、竹田城は織田信長や羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)による但馬侵攻の際に重要な役割を果たしました。天正5年(1577年)、羽柴秀吉が播磨に進軍した際、竹田城は生野銀山の確保を目指す秀吉軍の第一目標となり、攻城戦が展開されました。竹田城は最終的に羽柴秀長の攻撃により陥落し、竹田城の城代として秀長が任命されました。

安土桃山時代から江戸時代へ

豊臣秀吉の時代には、竹田城は但馬地方の重要な拠点として整備され、壮大な石垣を持つ城郭へと発展しました。しかし、関ヶ原の戦い(1600年)の後、竹田城の最後の城主である斎村政広は西軍に属して敗北し、その後、竹田城は廃城となりました。

竹田城の構造と特徴

竹田城の石垣と縄張り

竹田城は標高353.7メートルの古城山の山頂に位置し、総面積は18,473平方メートルに及びます。石垣は穴太流(あのうりゅう)石積み技法で作られており、豊臣時代の山城の代表的な遺構です。城の各方面では異なる石組みが見られることから、各領域を異なる頭領が管理していた可能性があります。

本丸は尾根の最高所に位置し、天守台はその正面にあります。天守台の形状は少し不規則で、礎石跡が確認されています。天守の構造については不明な点が多いですが、竹田城の天守台は城の中央に位置し、城下から正面に建てられていたことから、権威の象徴としての役割を果たしていたと考えられています。

竹田城の象徴的な特徴

竹田城の特徴的な要素として、北千畳曲輪、南千畳曲輪、花屋敷曲輪の3つの大きな曲輪群が挙げられます。これらの曲輪群は、ほぼ同じ高さの331メートルに配置されており、計画的に配置されたことが分かります。また、天守台下には本丸御殿があったと推定されています。

竹田城の観光情報と魅力

観光施設とアクセス

竹田城跡周辺には、観光案内所や駐車場が整備されており、訪れる観光客にとって便利な施設が充実しています。また、竹田城へのアクセスは、JR竹田駅から徒歩で約40分、車でのアクセスも可能ですが、竹田城跡周辺は山道が多く、駐車場からの徒歩が必要です。

訪れる際の注意点

竹田城跡は標高が高く、山道を登るため、訪れる際にはしっかりとした歩きやすい靴と、季節に応じた服装が必要です。また、雲海を楽しむためには早朝の訪問が推奨されますが、天候によっては雲海が発生しない場合もありますので、事前に天気予報を確認することをお勧めします。

さらに、竹田城跡は自然の中に位置しており、石垣や山道が危険な箇所もあるため、安全に観光を楽しむためには、案内板や注意事項をよく確認し、無理のない範囲での散策を心がけてください。

雲海に浮かぶ竹田城の魅力

竹田城の最大の魅力の一つは、その壮大な石垣が雲海に浮かび上がる幻想的な光景です。この現象は「天空の城」として知られており、竹田城がまるで空中に浮かんでいるかのように見えるため、多くの観光客に愛されています。特に秋から冬にかけて、円山川の川霧が立ち込める早朝の時間帯には、竹田城がまるで雲海の中に浮かび上がるような光景が広がります。

雲海が見られる条件と時期

竹田城が雲海に包まれる光景を楽しむためには、以下のような条件が整う必要があります:

また、但馬南部地方に濃霧注意報が出ている日は、雲海が発生する可能性が高まります。これらの条件が揃った日には、竹田城が雲海に包まれる絶景を目にすることができるでしょう。

雲海を楽しむための観賞ポイント

竹田城が雲海に浮かぶ姿を楽しむための観賞ポイントとして、以下の2つが特に有名です:

立雲峡

竹田城を訪れる際に最も人気のあるビューポイントが、竹田城跡の南東に位置する立雲峡です。立雲峡は標高が高く、竹田城を見下ろす絶好の場所にあります。特に雲海の広がる早朝には、竹田城が雲の中から浮かび上がるように見え、まさに「天空の城」の名にふさわしい光景を楽しむことができます。立雲峡には展望台がいくつかあり、それぞれ異なる角度から竹田城を眺めることができます。

藤和峠

もう一つのおすすめの観賞ポイントが、竹田城跡の北西に位置する藤和峠です。ここからは、雲海に包まれた竹田城の全景を眺めることができ、特に朝日の昇る時間帯には、竹田城がオレンジ色に染まる美しい光景が広がります。藤和峠は竹田城跡から少し離れた場所にありますが、竹田城と雲海の全体を見渡せる絶好のスポットです。

雲海を見る際の注意点

雲海が発生する早朝は気温が低いため、防寒対策が必要です。また、雲海が見られる時間帯は日の出前後が最も美しいため、早朝の訪問が推奨されます。さらに、山道を登ることになるため、しっかりとした歩きやすい靴を履いて訪れることをお勧めします。

まとめ

竹田城は、その歴史的な背景や壮大な石垣が魅力的な観光スポットであり、「天空の城」として多くの 人々に親しまれています。雲海に浮かぶ幻想的な光景は、竹田城を訪れる最大の魅力であり、特に秋から冬にかけての訪問がおすすめです。訪れる際には、適切な準備をして、安全にその魅力を満喫してください。

Information

名称
天空の城 竹田城
(たけだじょう)
Ruins of Takeda Castle, Castle in the Sky
リンク
公式サイト
住所
兵庫県朝来市和田山町竹田
電話番号
079-674-2120
営業時間

(春)スプリングシーズン

3月1日~5月31日 午前8時~午後6時(最終登城 午後5時30分)

(夏)サマーシーズン

6月1日~8月31日 午前6時~午後6時(最終登城 午後5時30分)

(秋)雲海シーズン

9月1日~11月30日 午前4時~午後5時(最終登城 午後4時30分)

(冬)ウィンターシーズン

12月1日~翌年1月3日 午前10時~午後2時(最終登城 午後1時)

定休日

1月4日~2月末は、冬季閉山のため入城できません。

料金

高校生以上 500円

駐車場
100台(山城の郷)
アクセス

JR「竹田駅」よりタクシーで約10分

車播但連絡道「和田山JCT」から約15分

エリア
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