社名の由来
「西宮」という名称の由来にはいくつかの説があります。一つは、えびす神を最初に祀ったとされる鳴尾や古代の津門から見て「西の方の宮」とされたという説です。もう一つは、京都から見て貴族の崇敬を集めていた廣田神社を含む神社群を指して「西宮」と称していたが、戎信仰の隆盛と共に戎社を「西宮」と限定して呼ぶようになったという説です。さらに、「西宮」とは延喜式内社の大国主西神社を指すとの説もあります。
祭神
西宮神社の主祭神はえびす大神(西宮大神・蛭児命)であり、第一殿に祀られています。第二殿には天照大御神が祀られ、大国主大神も第二殿に明治初年に配祀されました。第三殿には須佐之男大神が祀られています。
蛭児命について
蛭児命は伊弉諾命と伊弉諾美命との間に生まれた最初の子供ですが、不具であったため葦の舟に入れて流され、記紀神話ではその後の記述がありません。当社の社伝では、蛭児命は現在の神戸沖に漂着し、「夷三郎殿」と称され、海を司る神として祀られるようになったと伝えられています。
西宮神社の歴史
創建と初期の歴史
西宮神社の創建時期は不明ですが、社伝によれば、和田岬の沖に出現した蛭児命の御神像を鳴尾の漁師が引き上げて自宅で祀っていたところ御神託が降り、それに従い御神像を西の方に遷して改めて祀ったのが神社の起源とされています。
延喜式内社と西宮神社
西宮神社は延喜式内社の「大国主西神社」と同定する説があります。現在、境内末社の大国主西神社が式内社とされていますが、西宮神社自体を本来の式内大国主西神社とする説もあります。式内社の所在については議論がありますが、古代には西宮神社が現在の場所にあった可能性も示唆されています。
平安時代の信仰
平安時代には、西宮神社は廣田神社の境外摂社であり、「浜の南宮」または「南宮社」として知られていました。廣田神社と神祇伯の白川伯王家との関係から、頻繁に白川家の参詣を受けており、既に篤く信仰されていたことが記録に残っています。
戎信仰の始まり
平安時代末期には、「夷」の名が初めて文献に現れるようになり、この頃から戎信仰が興ったとされています。同時期の梁塵秘抄にも、諏訪大社、南宮大社、敢国神社と共に、廣田神社の末社が南宮とされており、これが現在の西宮神社の前身と考えられています。
中世・近世の西宮神社
中世には、神人としての芸能集団「傀儡師」が西宮神社の近くに住んでいました。彼らは全国を巡り、えびす神の人形繰りを行い、神徳を説いたことにより、えびす信仰が全国に広まりました。また、境内に祀られる百太夫神は傀儡師の神として信仰されていました。
兵火と再建
天文3年(1534年)、西宮神社は兵火により焼失しましたが、慶長9年(1604年)に豊臣秀頼によって表大門(赤門、重要文化財)が再建され、慶長9年から慶長14年(1604年 - 1609年)の間に本殿や拝殿も再建されました。慶長15年(1610年)には秀頼によって「御戎之鐘」が奉納されました。
江戸時代の西宮神社
江戸時代には、徳川家綱により焼失した本殿が再建されました。また、全国に頒布していたえびす神の神像札の版権を江戸幕府から得て、西宮神社はさらに隆盛しました。
近代以降の西宮神社
1870年(明治3年)、西宮戎社として知られていた西宮神社は「大国主西神社」と改称されましたが、後に「西宮神社」に戻りました。太平洋戦争中の1945年(昭和20年)8月6日に行われた第5回西宮空襲では、境内に小型爆弾が落下し、旧国宝の本殿などが焼失しました。
戦後の再建
戦後、西宮神社は神社本庁の別表神社に指定されましたが、社名の改称問題は未解決のままです。1961年(昭和36年)には、本殿や拝殿が再建されました。1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災で大きな被害を受けましたが、2000年(平成12年)に復興しました。
西宮神社の境内
本殿
西宮神社の本殿は三連春日造という珍しい建築様式で建てられています。 三棟が繋がった構造になっており、右から第一殿、第二殿、第三殿と並びます。
- 第一殿 - 1961年(昭和36年)11月再建
- 第二殿 - 1961年(昭和36年)11月再建
- 第三殿 - 1961年(昭和36年)11月再建
拝殿
拝殿は1961年(昭和36年)11月に再建されました。2024年(令和6年)には本殿と拝殿の銅板葺き替え工事が行われました。
境内の見どころ
青銅製の馬
1899年(明治32年)に白鷹酒造の辰馬悦叟によって奉納された青銅製の馬は、皇居前広場の大楠公像の馬を手掛けた後藤貞行による作品です。
社務所とえびす信仰資料展示室
1998年(平成10年)に再建された社務所には、「えびす信仰資料展示室」が併設されています。 ここでは全国のえびす様の像や、神影、土鈴などが展示されています。
六英堂
六英堂は、1977年(昭和52年)に神戸市布引から移築された建物です。もともとは東京・丸の内にあった岩倉具視邸の一部で、岩倉具視をはじめ、三條実美、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文といった明治維新の英傑たちが会合を行った場所でした。1883年(明治16年)、岩倉具視が病臥中に明治天皇が行幸された部屋とも伝えられています。
大練塀(重要文化財)
大練塀は、室町時代初期に築かれたと推定される長さ247mの築地塀で、日本最古のものとされています。その堅牢な構造から、名古屋の熱田神宮の信長塀、京都の三十三間堂の太閤塀と並び「日本三大練塀」の一つに数えられています。
表大門(赤門)
1604年(慶長9年)、豊臣秀頼によって再建された壮麗な門で、桃山時代の建築様式を色濃く残しています。 その鮮やかな朱色から「赤門」とも呼ばれています。左右に連なる大練塀とともに歴史的な価値が高い建築物です。
御戎之鐘
御戎之鐘は、1610年(慶長15年)に豊臣秀頼によって奉納されました。銘文には「諸行無常 是生滅法 生滅々己 寂滅為楽」と刻まれています。江戸時代の記録にも「鐘楼堂」として記載があり、当時から重要な祭礼に使用されていたことが分かります。
その他の施設
境内には他にも、神輿殿、えびすの森(兵庫県指定天然記念物)、庭園、瑞寶橋(国登録有形文化財)、嘉永橋(国登録有形文化財)、伊勢神宮遥拝所、御戎之鐘、祈祷殿、神馬舎など、多くの施設があり、訪れる人々に豊かな信仰と歴史を感じさせます。
摂末社
西宮神社の境内や周辺には、多くの摂末社が祀られています。
境内摂末社
- 火産霊神社
- 百太夫神社
- 六甲山神社
- 大國主西神社(式内社)
- 神明神社
- 松尾神社
- 市杵島神社
- 宇賀魂神社
- 庭津火神社
- 南宮神社(廣田神社の境外摂社)
- 沖恵美酒神社
- 梅宮神社
境外末社
- 住吉神社
- 西宮濱戎神社
主要な年中行事
十日えびす
毎年1月10日前後の3日間にわたり開催される「十日えびす」は、関西地方最大級の祭典の一つです。期間中には多くの神事が執り行われ、境内には800軒を超える屋台が立ち並び、100万人以上の参拝者で賑わいます。
日程
- 1月9日 - 宵えびす(有馬温泉献湯式・宵宮祭)
- 1月10日 - 本えびす(十日えびす大祭・開門神事福男選び)
- 1月11日 - 残り福
開門神事福男選び
「開門神事福男選び」は十日えびすの象徴的な行事で、正式には「十日戎開門神事福男選び」と呼ばれます。1月10日午前4時から行われる十日えびす大祭が終了すると、午前6時に表大門(赤門)が開かれ、本殿までの約230メートルを駆け抜ける「走り参り」が行われます。先着3名が「福男」として認定され、その年の幸運を授かるとされています。
起源
この神事の起源は、室町時代から江戸時代にかけて行われていた「忌籠(いごもり)」の風習にあると考えられています。かつて西宮の人々は、1月9日の夜に外出を控え、翌朝に身を清めて神社へ参拝する習慣がありました。
1905年(明治38年)に阪神電気鉄道・西宮駅が開業すると、神社の参拝者は地元住民に限らず、大阪や神戸からも訪れるようになりました。1913年(大正2年)の新聞記事には、一番乗りの参拝者を特別視する風潮がすでに見られ、このことが現在の「福男選び」へとつながったと考えられます。
競争の様子
当日は未明から多くの人が表大門前に集まり、開門と同時に一斉に駆け出します。本殿前に待機する神職に抱きつくことが福男認定の条件であり、3名までが「一番福」「二番福」「三番福」として称えられます。
参加者は毎年2000人以上にのぼり、特に2009年以降は約6000人が競争に挑戦しています。コースにはカーブや坂があり、転倒しないようにスピードを調整することが勝利の鍵となります。女性も参加可能ですが、これまでに女性の一番福は誕生していません。
招福大まぐろ奉納
「招福大まぐろ奉納」は、神戸市東部卸売市場(神戸市東部水産物卸売協同組合、大水、神港魚類)が大漁と商売繁盛を祈願して奉納する行事です。1970年(昭和45年)から毎年1月8日に「招福大まぐろ奉納式」が行われ、体長約3メートル、重量約300キログラムの大マグロが神社に奉納されます。
マグロに硬貨を貼る習慣
奉納されたマグロは「招福マグロ」として拝殿に飾られ、参拝者は凍ったマグロの頭や背中に硬貨を貼り付けます。これは「お金が身につく」とされ、商売繁盛や金運向上を願う習慣として広まりました。十日えびすの終了後、マグロは解体され、関係者によって振る舞われます。
有馬温泉献湯式
「有馬温泉献湯式」は、有馬温泉の繁栄と商売繁盛を願う神事で、毎年1月9日に開催されます。有馬温泉の「金泉」を角樽に入れ、西宮神社へと運びます。この行事は1995年(平成7年)に始まり、現在では十日えびすの重要な神事の一つとなっています。
湯もみの儀
献湯式では、有馬温泉の芸妓が「湯もみ太鼓」のお囃子に合わせて湯もみを行い、温泉を適温に調整します。奉納された金泉に1円玉を浮かべて拝むと、福を招くといわれています。
夏越の大祓
夏越の大祓は、6月30日に行われる神事で、半年間の罪や穢れを祓い清め、無病息災を願います。茅の輪くぐりが行われ、多くの参拝者が参加します。
例祭
西宮神社の例祭は10月14日に行われ、神事や祭礼が執り行われます。神社の例大祭である「えびす祭」の一環として、地元の人々や参拝者が参加します。
文化財
重要文化財
西宮神社には、以下の重要文化財が指定されています。
- 表大門(赤門) - 慶長9年(1604年)に豊臣秀頼により再建された門で、朱塗りが特徴的です。社殿と共に、社の正面を飾る重要な文化財です。
- 御影石製石燈籠 - 江戸時代に奉納されたもので、精巧な彫刻が施されています。
登録有形文化財
西宮神社には、以下の国の登録有形文化財があります。
- 瑞寶橋 - 境内の池にかかる橋で、近代的な石造アーチ橋の例として貴重です。
- 嘉永橋 - 瑞寶橋と同じく、境内にあるもう一つの橋です。歴史的価値が高く、美しいデザインが特徴です。
- 六英堂 - 1977年(昭和52年)に移築された建物で、元は神戸市垂水区の舞子六英荘にありました。辰馬半右衛門により1910年(明治43年)に建てられた洋風建築で、国の登録有形文化財に指定されています。
兵庫県指定天然記念物
西宮神社の境内には、以下の兵庫県指定天然記念物が存在します。
- えびすの森 - 境内の一部を成す森で、豊かな自然環境が保たれています。樹齢数百年を誇る木々が立ち並び、訪れる人々に安らぎを提供しています。
西宮神社の魅力
美しい庭園と文化財
境内には、美しい日本庭園が広がり、瑞寶橋や嘉永橋といった国登録有形文化財の橋も見どころの一つです。また、「えびすの森」は兵庫県指定天然記念物となっており、四季折々の風景を楽しむことができます。
西宮のシンボル
西宮神社は、歴史的・文化的価値が高いだけでなく、地元の人々にとっても親しみ深い存在です。商売繁盛のご利益を授かりたい人々だけでなく、歴史や建築に興味がある方にも訪れる価値のある神社です。
交通アクセス
電車でのアクセス
阪神本線「西宮駅」から徒歩約5分。JR神戸線「西宮駅」から徒歩約15分です。
バスでのアクセス
阪神バス「西宮神社前」バス停下車、徒歩約1分です。
車でのアクセス
名神高速道路「西宮IC」から車で約10分。神戸方面からは、阪神高速3号神戸線「武庫川出口」から約15分です。駐車場は境内にありますが、十日えびすなどの行事期間中は混雑が予想されるため、公共交通機関の利用が推奨されます。
まとめ
西宮神社は、全国のえびす神社の総本社として広く信仰を集める神社であり、歴史ある建造物や文化財も数多く残されています。特に「十日えびす」の福男選びは全国的に有名で、毎年多くの参拝者で賑わいます。商売繁盛を願う方はもちろん、歴史や文化に興味のある方もぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。