圓教寺の宗教法人名と由来
宗教法人としての名称は常用漢字体の「円教寺」であり、長吏の号は後白河法皇から賜ったものです。この寺院は、標高371mの書写山山上に位置し、966年に性空上人(しょうくうしょうにん)によって開かれた天台宗の古寺です。そのため、「西の比叡山」とも称され、歴史的な重要性を持ちます。
圓教寺の魅力
境内には国や県指定の文化財が数多く存在し、特に京都の清水寺に似た「摩尼殿」や重要文化財に指定されている「大講堂」や「食堂(じきどう)」などの建造物は見どころです。また、圓教寺では精進料理や座禅の体験もでき、訪れる人々に静寂で神聖な時間を提供しています。
ロケ地としての圓教寺
自然と建物が調和する景観は、テレビや映画の撮影にも使用されており、ハリウッド映画『ラスト サムライ』をはじめ、多くの作品でその美しさが映し出されています。
圓教寺の歴史
圓教寺は康保3年(966年)、性空上人によって創建されました。当時は「素盞ノ杣」とも呼ばれ、書写山の山頂には祠が祀られていました。創建当初は「書写寺」と称されており、書写山という名称は、仏説に基づき、釈迦如来による霊鷲山の土から成り立ったという伝承に由来しています。
性空上人の伝記
性空上人の生年には複数の説がありますが、『性空上人伝記遺続集』によれば、彼は延喜10年(910年)に生まれ、貴族の橘氏出身でした。36歳で出家した後、約20年間、九州で修行を積み、その後書写山に庵を結びました。天禄元年(970年)には、天人が書写山の霊木を賛嘆礼拝する姿を見た性空が、弟子の安鎮に命じて如意輪観音像を刻んだと伝えられています。
皇族との関わり
性空上人の修行と影響力は、皇族や貴族の間で強く信仰されました。特に花山法皇が性空に対して強い尊崇の念を抱き、寛和2年(986年)には圓教寺に勅号を与えました。このように、圓教寺は皇族の信仰の中心としても機能していました。
境内の主要建物と見どころ
仁王門と参道
圓教寺の境内は、仁王門から始まり、摩尼殿、大講堂、食堂、常行堂など、多くの重要文化財が点在しています。特に、摩尼殿は京都の清水寺に似た舞台造りで、その景観は圧巻です。また、参道には、西国三十三所の札所本尊を模した銅像が設置されており、巡礼者が訪れる際にはその歴史的な背景を感じることができます。
摩尼殿
摩尼殿(まにでん)は、圓教寺の象徴的な建物であり、観音堂としての役割を果たしています。元和3年(1617年)に姫路城主の本多忠政が寄進した湯屋橋という石橋を渡ると、摩尼殿が見えてきます。この建物は、入母屋造りの懸造の仏堂で、昭和8年(1933年)に再建されました。摩尼殿の内部には六臂如意輪観音像が祀られており、この像は、性空上人が刻んだと伝えられる如意輪観音像に由来します。
大講堂と三之堂
圓教寺の大講堂は、三之堂と呼ばれる三つの建物(大講堂、食堂、常行堂)から成り立っています。これらの建物は、室町時代に再建されたもので、その歴史的価値は非常に高いです。大講堂には釈迦三尊像が祀られており、文殊菩薩と普賢菩薩が両脇に配置されています。この釈迦三尊像は、圓教寺の創建期に彫られたもので、歴史的にも宗教的にも重要な意味を持っています。
開山堂と護法堂
奥之院に位置する開山堂は、性空上人の遺骨を祀るために建てられた建物です。現在の開山堂は1673年に再建されたもので、その内部には性空上人の坐像が安置されています。また、護法堂には、圓教寺を守護する乙天と若天が祀られており、これらの神々は圓教寺の守護神として、長い歴史の中で信仰の対象となってきました。
その他の見どころ
圓教寺の境内には、その他にも多くの文化財や歴史的建造物があります。例えば、薬師堂は、円教寺の創建当初から存在する最古の建物であり、開山堂と並んで信仰の中心となっています。また、本多家や榊原家の墓所もあり、これらの場所は歴史的な意義が深いです。
圓教寺の文化財
圓教寺は、多くの文化財を有しており、その中でも特に重要なものは、国の重要文化財として指定されています。例えば、大講堂、鐘楼、金剛堂、食堂、常行堂、開山堂、護法堂などが挙げられます。また、摩尼殿も国の重要文化財に指定されており、その文化的価値は非常に高いです。
国の重要文化財
大講堂
大講堂は、圓教寺の中心的な建物であり、1913年(大正2年)4月14日に国の重要文化財に指定されました。この建物は、2重1階建ての入母屋造で、本瓦葺の屋根を持っています。桁行7間、梁間6間という大規模な構造を有し、下層は永享12年(1440年)に、上層は寛正3年(1462年)に建造されました。元和8年(1622年)には姫路藩主本多忠政により修復され、1951年から1956年にかけて解体修理が行われました。内陣には、釈迦如来および両脇侍(文殊菩薩・普賢菩薩)の像が安置されており、これらの仏像も国の重要文化財に指定されています。
鐘楼
鐘楼は、大講堂と並ぶ重要な建物で、同じく1913年(大正2年)4月14日に国の重要文化財に指定されました。この鐘楼は、鎌倉時代に建立されたとされる入母屋造、本瓦葺の建物で、桁行3間、梁間2間の構造を持っています。鐘楼の建築様式は、袴腰付で、腰組を持つ正規の鐘楼として知られています。
金剛堂
金剛堂は、天文13年(1544年)に建立された建物で、1913年(大正2年)4月14日に国の重要文化財に指定されました。この堂は、方3間の入母屋造で、本瓦葺の屋根を持ちます。1958年(昭和33年)には修理が行われ、現在の姿が保たれています。金剛堂には、木造金剛薩埵坐像が安置されており、この像も重要文化財として認定されています。
食堂
食堂は、圓教寺の三つの堂の一つであり、1955年(昭和30年)6月22日に国の重要文化財に指定されました。食堂は、桁行15間、梁間4間の巨大な仏堂で、総2階建ての構造を持ちます。特に2階部分は、ガラスケースを設置した宝物館として利用されており、圓教寺の宝物が展示されています。食堂は、日本の仏教建築の中でも非常に特異な存在です。
常行堂
常行堂は、食堂とともに1955年(昭和30年)6月22日に国の重要文化財に指定されました。常行堂は、常行三昧堂として知られ、方5間の入母屋造の建物です。東を正面とし、常行堂の本尊である阿弥陀如来坐像が安置されています。像はヒノキの寄木造で、漆箔が施されています。常行堂の形式は非常に珍しく、文化的価値が高い建物です。
奥之院の建造物
奥之院には、以下の4つの建物が国の重要文化財に指定されています。
- 開山堂(附:宮殿1基、棟札3枚、柱敷板1枚) - 2014年(平成26年)1月27日指定。
- 護法堂(乙天社及び若天社)2棟(附:厨子2基、棟札5枚、鳥居2基) - 1955年(昭和30年)6月22日指定(2014年に一部追加指定)。
- 護法堂拝殿(附:棟札2枚) - 2014年(平成26年)1月27日指定。
- 摩尼殿(附:棟札1枚、図面48枚) - 2024年(令和6年)1月19日指定。
十妙院と寿量院の建造物
十妙院と寿量院には、それぞれ以下の建物が国の重要文化財に指定されています。
- 十妙院 - 客殿および庫裏(2014年1月27日指定)、唐門(2014年1月27日指定)、附属する表門と土塀。
- 寿量院 - 客殿および庫裏(1956年6月28日指定)、棟門(2014年1月27日指定)附属する土塀。
十妙院と寿量院の建造物は、それぞれ宗教法人十妙院と宗教法人寿量院が所有しています。
木造仏像
圓教寺には、以下の木造仏像が国の重要文化財に指定されています。
- 木造釈迦如来および両脇侍像(大講堂安置) - 1923年(大正12年)3月28日指定。性空上人の弟子、感阿上人によって彫られたものです。
- 木造四天王立像(大講堂安置) - 1923年(大正12年)3月28日指定。性空上人の資感和上人の作とされます。
- 木造阿弥陀如来坐像(常行堂本尊) - 1995年(平成7年)6月15日指定。性空上人の弟子、安鎮行者によって造立されたものです。
- 木造性空坐像(開山堂安置) - 2009年(平成21年)7月10日指定。京佛子慶快上人によって作られました。
兵庫県指定有形文化財
仁王門
圓教寺の入り口を飾る仁王門は、1968年(昭和43年)3月29日に兵庫県指定有形文化財に指定されました。この門は切妻造、本瓦葺の三間一戸八脚門で、元和3年(1617年)に再建されました。門内には、市指定文化財である木造金剛力士像が安置されています。
薬師堂
薬師堂は、1965年(昭和40年)3月16日に兵庫県指定有形文化財に指定されました。この堂は方2間の構造を持ち、薬師如来を本尊として祀っています。堂内には薬師如来坐像が安置されており、この像も重要文化財として指定されています。
摩尼殿
摩尼殿は、2017年(平成29年)3月14日に兵庫県指定有形文化財に指定されました。摩尼殿は、昭和8年(1933年)に再建された入母屋造の懸造で、桁行5間の大規模な建物です。内部には六臂如意輪観音像が祀られており、この像も文化財としての価値が高いとされています。
本多家廟屋
本多家廟屋は、1970年(昭和45年)3月30日に兵庫県指定有形文化財に指定されました。これらの廟屋は、姫路城主を務めた本多忠勝、忠政、政朝、政長、忠国の墓所であり、それぞれが方形造、本瓦葺の堂を有しています。
石造笠塔婆
石造笠塔婆は、1961年(昭和36年)5月12日に兵庫県指定有形文化財に指定されました。この塔婆は高さ137cmの流紋岩質凝灰岩で造られており、上部には定印の阿弥陀坐像が浮き彫りされています。塔婆には延慶4年(1311年)の銘があり、その歴史的価値が認められています。
銅鐘
銅鐘は、1964年(昭和39年)3月9日に兵庫県指定有形文化財に指定されました。この鐘は、鎌倉時代に鋳造されたもので、現在も圓教寺の鐘楼に吊るされ、鐘の音が響き渡ります。
木造金剛薩埵坐像
木造金剛薩埵坐像は、1969年(昭和44年)3月25日に兵庫県指定有形文化財に指定されました。この像は、延文4年(1359年)に康俊によって造立され、現在は食堂の2階に展示されています。
如意輪観音坐像
如意輪観音坐像は、2008年(平成20年)3月21日に兵庫県指定有形文化財に指定されました。この像は、1933年に石本暁海によって造立されたもので、摩尼殿の本尊として祀られています。
木造性空上人坐像
木造性空上人坐像は、2008年(平成20年)3月21日に兵庫県指定有形文化財に指定されました。この像は、1998年に塔頭・仙岳院から発見されたもので、開山堂の本尊として安置されています。
姫路市指定文化財
愛宕社本殿
愛宕社本殿は、2013年(平成25年)1月16日に姫路市指定有形文化財に指定されました。この社は、大講堂の北側に位置し、火伏せの神として祀られています。
木造金剛力士像
木造金剛力士像は、1989年(平成元年)2月28日に姫路市指定有形文化財に指定されました。この像は、仁王門内に安置されており、室町時代の作とされています。
六角坂石造笠塔婆
六角坂石造笠塔婆も、姫路市の指定文化財として認定されています。この塔婆は、六角坂参道に位置し、その歴史的価値が認められています。
鬼追い会式
鬼追い会式は、2002年(平成14年)8月28日に姫路市指定無形民俗文化財に指定されました。この行事は、修正会の一環として行われ、性空上人を守護した護法童子である乙天と若天が鬼に扮して登場します。
御詠歌と巡礼
圓教寺は、西国三十三所の第27番札所であり、御詠歌として「はるばると 登れば 書写の山おろし 松の響きも 御法なるらむ」という歌が詠まれています。巡礼者たちはこの歌を唱えながら、圓教寺を訪れることで、仏教の教えに触れる機会を得ています。
交通アクセスと参道
圓教寺へのアクセスは、姫路駅から神姫バスで書写山ロープウェイを利用するのが便利です。ロープウェイを降りてから、徒歩または有料送迎マイクロバスを利用して摩尼殿までアクセスできます。また、参道を歩いて登る場合には、東坂、西坂、置塩坂などのルートがあり、それぞれに異なる景観や歴史的な背景があります。
圓教寺の周辺と自然環境
圓教寺は、自然環境が良好に保持されている書 写山の山上一帯に位置し、山岳寺院の特徴を持っています。周辺には、姫路市書写の里・美術工芸館があり、圓教寺を訪れた際には併せて訪れることができます。
圓教寺の未来と文化遺産の保護
圓教寺は、その長い歴史と文化的価値を次世代に伝えるために、文化財の保護と修復に力を入れています。これからも、多くの人々が訪れるこの場所が、歴史と信仰の象徴として存続していくことが期待されています。