礼拝堂の内部は畳敷きで、色鮮やかなステンドグラスが美しい、ドイツ人シェーファーによって建てられたゴシック風建築の教会。
キリシタン殉教の慰霊のために1890年に建てられ、火災により、1931年に再建された。
国の有形登録文化財。
殿町の古い街並みでひときわ目を引く存在。夜にはライトアップされる。
隣接して殉教資料を集めた乙女峠展示室がある。
毎年5月3日には殉教者を偲ぶ「乙女峠まつり」が行われ、キリスト教関係者など県内外から約2000人が訪れミサが行われている。
乙女峠マリア聖堂
1867年、大規模な隠れキリシタン弾圧事件が起こり、長崎浦上村の153名が津和野藩に送られた。
乙女峠にある光琳寺に到着、本堂に幽閉され、津和野藩により改宗の説諭が行なわれたが棄教する者はなく、津和野藩により信徒に対して酷い拷問が行われて、1870年までに37名の殉教者を出した。
1873年の禁教解除により信徒たちは釈放され、浦上へと帰された。
1951年には「聖母マリアと36人の殉教者に捧げる」聖堂として、拷問が行われた光琳寺の跡地にパウロネーベル神父により乙女峠マリア聖堂が建設された。
聖堂のステンドグラスには当時の悲劇の様子が描かれている。
# 津和野カトリック教会
## 悲しい歴史が刻まれた畳敷きの礼拝堂
津和野カトリック教会は、内部が畳敷きで色鮮やかなステンドグラスが美しいゴシック風建築の教会です。ドイツ人のシェーファーによって建てられました。キリシタン殉教の慰霊のために1890年に建てられましたが、火災により1931年に再建されました。現在、国の有形登録文化財に指定されています。
## 目を引く存在
この教会は、殿町の古い街並みの中でもひときわ目を引く存在で、夜にはライトアップされます。隣接して、殉教資料を集めた乙女峠展示室があります。
## 乙女峠まつり
毎年5月3日には、殉教者を偲ぶ「乙女峠まつり」が行われます。キリスト教関係者など県内外から約2000人が訪れ、ミサが行われます。
# 乙女峠マリア聖堂
## 悲劇の歴史
1867年、大規模な隠れキリシタン弾圧事件が起こり、長崎浦上村から153名が津和野藩に送られました。彼らは乙女峠にある光琳寺に幽閉され、改宗を迫られましたが、棄教する者はなく、津和野藩による酷い拷問が行われました。その結果、1870年までに37名の殉教者を出しました。
## 釈放と帰郷
1873年の禁教解除により、信徒たちは釈放され浦上へ帰されました。
## 聖堂の建設
1951年、パウロネーベル神父によって「聖母マリアと36人の殉教者に捧げる」聖堂として、光琳寺の跡地に乙女峠マリア聖堂が建設されました。聖堂のステンドグラスには当時の悲劇の様子が描かれています。
7:30~17:00
見学自由
見学無料(展示室は自由献金)
JR山口線津和野駅から徒歩12分