出雲大社は、島根県出雲市大社町杵築東にある神社で、伊勢神宮に並ぶ古社です。大国主大神(大国主命)が祭神であり、一般的に「大國さま(だいこくさま)」として親しまれています。
この神社は「縁結びの神」「福の神」「平和の神」として有名で、特に「縁結び」の神様として広く知られ、毎年1000万人を超える人々が良縁祈願のために訪れます。
現在の本殿は1744年に建てられたもので、日本で最も古い神社建築の形式である大社造りです。この本殿は国宝に指定されており、参拝方法も「二拝四拍一拝」と他の神社とは異なる独特のものです。
出雲大社の表参道である神門通りには、大きな門長屋や屋敷構があり、町家の静かな佇まいとその長い歴史を感じることができます。縁結びグッズや勾玉アクセサリー、ぜんざい餅などの店が並び、多彩な商品を楽しむことができます。
古代より「杵築大社(きずきたいしゃ)」と呼ばれていたこの神社は、1871年(明治4年)に「出雲大社」と改称されました。出雲大社は式内社(名神大)、出雲国一宮であり、旧社格は官幣大社です。神社本庁の別表神社であり、宗教法人出雲大社教の宗祠でもあります。明治維新に伴う近代社格制度下で唯一「大社」を名乗る神社としての歴史を持っています。
出雲大社の創建については、日本神話などにその伝承が語られています。例えば、大国主神が国譲りに応じる条件として「立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」と述べたことから、この宮が建てられたという伝承があります。また、『古事記』『日本書紀』などの記述によると、天津神(または天皇)の命によって、国津神である大国主神の宮が建てられたとされています。このことから、出雲大社の創建が古代における国家的な事業として行われたことがうかがえます。
出雲大社の祭神は大国主大神ですが、時代と共にその変遷がありました。平安時代前期までの祭神は大国主神であり、神仏習合の影響下で鎌倉時代から天台宗の鰐淵寺と関係が深まり、祭神が素戔嗚尊(すさのおのみこと)に変わった時期もありました。しかし、1667年(寛文7年)の遷宮に伴う大造営の時、神仏分離・廃仏毀釈が行われ、祭神は再び大国主大神に復されました。
出雲大社は1871年(明治4年)に近代社格制度において官幣大社に列されました。祭神は大国主大神であり、『出雲国風土記』では大穴持命または所造天下大神大穴持命として記載されています。神在月(神無月)には全国から八百万の神々が集まり神議が行われる(神在祭)ことでも有名です。
創建以来、出雲大社の祭祀は天穂日命を祖とする出雲国造家が担ってきました。現在の宮司は84代国造千家尊祐であり、出雲大社教を総攬しています。また、出雲大社の神紋は「二重亀甲に剣唐花」であり、格式高い神社としての風格を持っています。
出雲大社の本殿は、玉垣、瑞垣(廻廊)、荒垣の三重の垣根に厳重に守護されています。現在の本殿は1744年(延享元年)に建てられたもので、高さは8丈(およそ24m)と、神社としては破格の大きさです。また、出雲大社では、約60年に一度本殿の建て替えが行われ、その際には神体が仮殿に遷御されることもあります。
出雲国造家は、天照大御神の第二御子の天穂日命(あめのほひのみこと)の神裔であり、第十二代からは出雲国の政治も兼ねることとなりました。現在の祭祀者は千家家と北島家に分かれており、それぞれ出雲大社教と出雲教を主宰しています。
出雲大社では、出雲の氏子を対象に行われる祭礼として「出雲屋敷地鎮祭」があります。この祭礼は他県から訪れる人々にも行われ、新築や増築工事に対する地鎮祭が行われます。土地や建物の穢れをなくし、鬼門という考え方を一切なくすための式典です。
出雲大社には天皇の親拝の記録が残っています。1947年(昭和22年)11月30日には昭和天皇の戦後巡幸、1965年(昭和40年)5月1日には昭和天皇と香淳皇后の出雲大社親拝、2003年(平成15年)10月3日には明仁上皇と美智子上皇后の出雲大社親拝が行われました。
出雲大社は、歴史と伝統を誇る神社であり、縁結びの神として多くの人々に信仰されています。その壮大な本殿や多彩な行事、そして歴史的背景を持つ出雲国造家による祭祀など、多くの魅力があります。日本の文化と歴史を感じることのできる出雲大社を訪れることは、一度は経験したいものです。
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